久しぶりのパキスタン(4)

10月3日
今日の夕刻、カラチを発ってイスラマバッドに移動してきました。
イスラマ行きの便を待つカラチの空港の待合室。夕方の6時20分。スピーカーからお祈りの声が流れ出します。
すると人々は、老若男女みんな、それこそ一斉に手にしたランチボックスの蓋を開きました。今日の断食が終わったのです。
断食月の間、正確には満ちた月が欠けて行く間の一ヶ月間、世界中のムスリムは太陽が空にある間、一切の食物を口にしない、という掟を守ります。
たばこも勿論いけません。つばを飲んでも駄目などという冗談をいうひともいます。

1日の断食が明けた時に、ムスリムは「アフタリ」と呼ぶ食べ物を食べます。干したナツメヤシから始まる単純なもので、断食後の胃を落ち着かせるような、一種の食前食になっています。
一方陽の上る前に食べる「セフェリ」は、各個人の好みにまかされています。みんな工夫を凝らして好きなものを食べる。

大分前、興味半分に断食を試みたことがありました。ちょうどそれは、遠征登山の帰りのキャラバンの終わりがたのことで、仲良しになった連絡将校と一緒に断食をやるといったのです。
夜になって、それを聞いた隊のコックは、はやくセフェリのメニューをいってくれと、大いに慌てたようでした。朝になると、早々に起こしにやって来て、早く顔を洗ってくれ、日が昇る、セフェリを食べる時間がなくなると大騒ぎでした。
で、その断食は、そんなつらいものとは感じませんでしたが、午後になってひどい眠気が襲ってきたのを記憶しています。

イスラム圏のどんな喧噪にあふれた都会のど真ん中でも、6時20分になると、突如、恐ろしいばかりの静寂につつまれる。
その前頃は、家に帰ってイフタリを食べようと家路に急ぐ車と人々で、町はごった返す。その後だからこの静寂はよけいに際立つのでしょう。
商店などでは、フロアに敷物を敷いて、店主店員車座になってイフタリを食する。
イスラム独特の臍帯感醸成の情景とぼくには映ります。

断食月というのは、聖なる月であり、世界中のムスリムが、神に対して敬虔なひと月を過ごす。
苦しいひと月が過ぎ、月が欠け尽き、そして現れてきて、細い三日月になる。これが断食明けの合図です。ムスリムの国の国旗に三日月があしらわれていることが多いのは、これによります。
雲が多くて、三日月が確認できなかったときはどうするのだろうと気になりますが、その時は、確認のため飛行機が飛ぶのだそうです。そして月を確認したと報告する。

その瞬間、人々は喜びの歓声とともに戸外に飛び出し、抱き合って断食明けを喜び合うのだそうです。こうしたことが、世界中のムスリムのすべてにおいて行われる。
月は地球上どこからでも同じように見えるはずで、この同時性はムスリムの一体感を高めるものだと思えます。