ニースで盗難に遭う
1月19日昼前、ぼくたちはニースの町中を、車を走らせていました。
昨夜ニースに着き、ホテルアイビスでぼくの迎えを待っている、岡井と関田をピックアップするためです。
朝の9時にピエモンテを発ち、国境の峠を越えて峡谷を下り、リグリア海岸沿いの高速を走って、ニースに達したところでした。
信号待ちをしていた時、突然後ろのドアが開き、後部座席の手提げ鞄とカメラを引き出されました。車を飛び出した時、その少年は後ろに向かって走っており、待機したスクーターの後ろに飛び乗るとあっという間に横町に消え去りました。
全く一瞬の出来事でした。
車の中からものがかっさらわれるというのは、全く想定外の出来事で茫然自失とはあの事でしょう。生まれて初めての経験でした。
とにかく通行人に尋ね、近くの派出所に行きました。
ここでは、全く処理が出来ない。ニースの中央署に行きなさい。そういう不親切な一点張りの対応でした。
地図を書いてくれた訳ではなし、車ですんなり行き着けるとも思えなかったので、ニース駅前に駐車して、タクシーで中央署に向かいました。
この車中で、日本に電話し、家内にクレジットカードのストップ手続きを頼みました。
家内は、突然の電話で自動車で事故ったのかと思ったそうです。
このときに、パスポート番号と発行日を聞きました。こうしたデータはすべて盗まれた鞄の中のパームに入っており、何も調べられない状況です。
中央署の受付に座った2人の女性警官は、英語が話せるようで、自分では話せると思っているのでしょうが、実はほとんど会話が成立しません。
とにかくそばに設置されている、端末機のディスプレイで、被害の報告をします。タッチパネルを押して行くだけで、氏名、年齢、現住所や被害品目などが入力できるようになっています。
このあまり出来のよくないソフトに難渋しながら、ようやく入力を終えると、プリントアウトされ、ポリスがサインして、被害届の出来上がりです。
日本の在外公館の場所を聞きました。パスポートに関しては警察はなんの権限もありません。領事館はマルセイユにあるそうです。住所と電話番号を聞き、電話しましたが、つながりません。この国は、12〜2時は休みなのです。
ホテルアイビスに着いて、岡井・関田に再会。二人とも元気そうです。
「災難やったな」と岡井。
彼は連絡を受けてすぐに領事館の所在地を調べてくれたそうです。
「すぐに行った方がええで」
ぼくたちは、すぐさま200km離れたマルセイユに向かって高速にのりました。
100キロほど走った時、「領事館に連絡を取った方がいい」と岡井がいい、パーキングエリアから電話しました。
岡井は日本からレンタルの携帯を持って来ています。この電話、日本経由で接続するので、レンタル料が1日100円で安いとはいえ、通話料はえらく高いものになります。
領事館は5時半まで開いているそうです。この時、氏名とパスポートナンバーを伝えました。高速をおりてからの経路を詳しく聞きました。
このひどく長い通話の途中で、電話の向こうのヤマダ担当官は、こちらが日本の携帯でかけていることを知ると、番号を聞き「こちらからかけ直しますから、いったん電話を切ってください」と云ったのです。
いやぁ、驚きました。日本の在外公館の対応とは思えませんでした。
マルセイユには4時前に着きました。道路指示が的確だったので、A8からA52へ、さらにA50へと入り、間違いなくハンブルグ道路へと達した時、電話が鳴りました。ヤマダ担当官が心配して電話したくれたのです。
ダビデ像を回って、領事館はすぐでした。
そこには、日本国旗もなくビルの二階の小さなオフィスに過ぎません。
「なんちゅうこっちゃ」「これが日本国の領事館か」
関田と岡井は憤慨する事しきりでした。
古いパスポート番号を廃棄しますからと、紛失届にサインし、さらに何枚もの書類のサインを要請されました。
「パスポートは5年にしますか10年にしますか」
10年ですと答えながら、なんでそんな事を聞くのかと思いました。仮のパスポートなら5年も10年もない。
云われた通り近くのスーパー、カールフールに出かけ、写真を撮りました。さらに何枚もの書類にサイン。しばらく待って5時過ぎに、出来ましたと手渡されたのは、エンジ色のあのパスポートでした。
本物そっくりではないか。よくできてるなぁ。
またまた大びっくり。本物のパスポートでした。ICチップ入りという最新のパスポート。日本でもこんなに早くは出来ません。
ヤマダさんは、「こんなことは普通はできませんので、これが通常だとは思わないでください」と云いました。
すぐそばのカールフールで、車エビ、貝柱、ムール貝や白ワインなどを買い込み、高速に乗ったのは、もう7時前でした。
ともさんが、「それにしてもセンセの本人確認はどうしたんでしょうね」と疑問を発しました。考えてみれば、パスポートがないぼくが高田直樹だという証拠はどこにもないのです。
きっと外務省がぼくの顔写真のデータを持っていたのだろう、ということで全員納得したのでした。しかしやはりどうも合点がいきません。ぼくの中では謎としてとどまりました。
マニュアルシフトの車に乗るのは40年ぶりという岡井の運転で、250キロ先のベンチミーリアまで走りました。ここで高速を降り、ここからの渓谷の割れ谷沿いのワインディングロードは頻繁なギアチェンジが必要となるので、運転はともさんに変わります。
A50での事故による大渋滞があり、そのためホテル・エクセルシオールに着いたのは深夜でした。
みんなのおかげで、信じられないほど素早くパスポートが再発行され、無事にホテルに帰り着けた。古希のお祝いに子供たちから贈られた、あの素敵なオレンジ色革のバッグがなくなったのは、ショックだったけど、それはそれ。
買って来たシャンパンで祝杯をあげました。
後悔は先に立たず。
さっきインターネットを見ていたら、オットトという記載を見つけました。< インターネットの記事>
これを先に見ていたら、災難は回避できたはず。
まさに、後悔は先に立たず。
あのかっさらわれた瞬間の情景が脳裏にカットバックされると、頭がカァーッとして来ます。
マルセイユ領事館の話では、ニースとマルセイユを股にかけた窃盗団が暗躍中で、ニースの取り締まりが強くなるとマルセイユへ、ここで追われるとニースへと活動の場を移すのだそうです。
昨夜ニースに着き、ホテルアイビスでぼくの迎えを待っている、岡井と関田をピックアップするためです。
朝の9時にピエモンテを発ち、国境の峠を越えて峡谷を下り、リグリア海岸沿いの高速を走って、ニースに達したところでした。
信号待ちをしていた時、突然後ろのドアが開き、後部座席の手提げ鞄とカメラを引き出されました。車を飛び出した時、その少年は後ろに向かって走っており、待機したスクーターの後ろに飛び乗るとあっという間に横町に消え去りました。
全く一瞬の出来事でした。
車の中からものがかっさらわれるというのは、全く想定外の出来事で茫然自失とはあの事でしょう。生まれて初めての経験でした。
とにかく通行人に尋ね、近くの派出所に行きました。
ここでは、全く処理が出来ない。ニースの中央署に行きなさい。そういう不親切な一点張りの対応でした。
地図を書いてくれた訳ではなし、車ですんなり行き着けるとも思えなかったので、ニース駅前に駐車して、タクシーで中央署に向かいました。
この車中で、日本に電話し、家内にクレジットカードのストップ手続きを頼みました。
家内は、突然の電話で自動車で事故ったのかと思ったそうです。
このときに、パスポート番号と発行日を聞きました。こうしたデータはすべて盗まれた鞄の中のパームに入っており、何も調べられない状況です。
中央署の受付に座った2人の女性警官は、英語が話せるようで、自分では話せると思っているのでしょうが、実はほとんど会話が成立しません。
とにかくそばに設置されている、端末機のディスプレイで、被害の報告をします。タッチパネルを押して行くだけで、氏名、年齢、現住所や被害品目などが入力できるようになっています。
このあまり出来のよくないソフトに難渋しながら、ようやく入力を終えると、プリントアウトされ、ポリスがサインして、被害届の出来上がりです。
日本の在外公館の場所を聞きました。パスポートに関しては警察はなんの権限もありません。領事館はマルセイユにあるそうです。住所と電話番号を聞き、電話しましたが、つながりません。この国は、12〜2時は休みなのです。
ホテルアイビスに着いて、岡井・関田に再会。二人とも元気そうです。
「災難やったな」と岡井。
彼は連絡を受けてすぐに領事館の所在地を調べてくれたそうです。
「すぐに行った方がええで」
ぼくたちは、すぐさま200km離れたマルセイユに向かって高速にのりました。
100キロほど走った時、「領事館に連絡を取った方がいい」と岡井がいい、パーキングエリアから電話しました。
岡井は日本からレンタルの携帯を持って来ています。この電話、日本経由で接続するので、レンタル料が1日100円で安いとはいえ、通話料はえらく高いものになります。
領事館は5時半まで開いているそうです。この時、氏名とパスポートナンバーを伝えました。高速をおりてからの経路を詳しく聞きました。
このひどく長い通話の途中で、電話の向こうのヤマダ担当官は、こちらが日本の携帯でかけていることを知ると、番号を聞き「こちらからかけ直しますから、いったん電話を切ってください」と云ったのです。
いやぁ、驚きました。日本の在外公館の対応とは思えませんでした。
マルセイユには4時前に着きました。道路指示が的確だったので、A8からA52へ、さらにA50へと入り、間違いなくハンブルグ道路へと達した時、電話が鳴りました。ヤマダ担当官が心配して電話したくれたのです。
ダビデ像を回って、領事館はすぐでした。
そこには、日本国旗もなくビルの二階の小さなオフィスに過ぎません。
「なんちゅうこっちゃ」「これが日本国の領事館か」
関田と岡井は憤慨する事しきりでした。
古いパスポート番号を廃棄しますからと、紛失届にサインし、さらに何枚もの書類のサインを要請されました。
「パスポートは5年にしますか10年にしますか」
10年ですと答えながら、なんでそんな事を聞くのかと思いました。仮のパスポートなら5年も10年もない。
云われた通り近くのスーパー、カールフールに出かけ、写真を撮りました。さらに何枚もの書類にサイン。しばらく待って5時過ぎに、出来ましたと手渡されたのは、エンジ色のあのパスポートでした。
本物そっくりではないか。よくできてるなぁ。
またまた大びっくり。本物のパスポートでした。ICチップ入りという最新のパスポート。日本でもこんなに早くは出来ません。
ヤマダさんは、「こんなことは普通はできませんので、これが通常だとは思わないでください」と云いました。
すぐそばのカールフールで、車エビ、貝柱、ムール貝や白ワインなどを買い込み、高速に乗ったのは、もう7時前でした。
ともさんが、「それにしてもセンセの本人確認はどうしたんでしょうね」と疑問を発しました。考えてみれば、パスポートがないぼくが高田直樹だという証拠はどこにもないのです。
きっと外務省がぼくの顔写真のデータを持っていたのだろう、ということで全員納得したのでした。しかしやはりどうも合点がいきません。ぼくの中では謎としてとどまりました。
マニュアルシフトの車に乗るのは40年ぶりという岡井の運転で、250キロ先のベンチミーリアまで走りました。ここで高速を降り、ここからの渓谷の割れ谷沿いのワインディングロードは頻繁なギアチェンジが必要となるので、運転はともさんに変わります。
A50での事故による大渋滞があり、そのためホテル・エクセルシオールに着いたのは深夜でした。
みんなのおかげで、信じられないほど素早くパスポートが再発行され、無事にホテルに帰り着けた。古希のお祝いに子供たちから贈られた、あの素敵なオレンジ色革のバッグがなくなったのは、ショックだったけど、それはそれ。
買って来たシャンパンで祝杯をあげました。
後悔は先に立たず。
さっきインターネットを見ていたら、オットトという記載を見つけました。< インターネットの記事>
これを先に見ていたら、災難は回避できたはず。
まさに、後悔は先に立たず。
あのかっさらわれた瞬間の情景が脳裏にカットバックされると、頭がカァーッとして来ます。
マルセイユ領事館の話では、ニースとマルセイユを股にかけた窃盗団が暗躍中で、ニースの取り締まりが強くなるとマルセイユへ、ここで追われるとニースへと活動の場を移すのだそうです。