16.ほんまに腹たつなあ
♣
自分の子供が学齢期に達し、学校にゆくようになると、ぼくも父親ということになったらしく、父兄会とか両親学級とかの通知がやってくるようになりました。
女房は、行きましょうと誘います。でも、そうしたものは、決まって、日曜日とか、祭日とか、ぼくの最も重要な時間にあるのが普通でした。ほとんどスケジュールが詰っていど、あんまり行ったことありません。
息子が小学校の時、母親が、個人懇談というのに出席して帰ってくると、
「お父さんは、もっと一緒に遊んであげてほしい」と担任の先生がいったと、ぼくに話しました。女房に、よく問いただしてみたのですが、息子が、担任にそう告げたのではないようです。どうやら、息子の情緒不安定な状況から、担任がそう推測したらしいのです。
その先生の気持は分らぬではなかったけれど、ぼくは、頭にきました。
「なに、遊んでやれ。どうやって遊ぶんだ。ゲームするんか。トランプするんか。相撲とるんか。そんなことしとるヒマがあるか。若僧が、遊んでやれだと。えらそうなこというな」
ぼくは、息子にサービスする気なんか全くないし、自分が遊ぶことだけで精一杯です。まあ、子供もー緒に遊べることなら、一緒にやるのは別にイヤでもありません。だから、スキーにしろ山にしろ、連れていくこともある。しかし、そうした計画は、ほとんどの場合、あくまでもぼくが行くのであって、子供達のためのもんではありません。
それにぼくが、なんの相談もしていないのに、担任に、家のことまで指図されるいわれは全くない。だいたい教師は、あつかましく、家の内部のことにまで口出ししすぎる。
もし、ある生徒に、なんらかの情緒反応とか、異常な行動があったとしても、そんな単純な憶測だけで、父親・母親にえらそうに指図すべきではないと思うのです。だから、ぼくの子供のような場合、担任は、父親と遊んでいないのが原因かどうかを、まず本人を観察したり、たずねたりして、確認すべきでしょう。そして、かりにそうだ、それが原因だということになっても、なにも、親にいうべきではない。なにより、その児童・生徒本人に、「お父さんに遊んでほしいと自己表示しろ」ということをアドバイスすべきなのではないか。そう思うのです。
だいたい教師は、生徒と家庭との二重スパイみたいな役割を負わされている訳ですが、そうした認識は、あまりない。一生懸命にスパイに精を出す先生が、熱心な先生だみたいなことにもなっている。
賢い生徒が、二重スパイに、本当の心のうちを明かす訳がありません。だから、教師は、原則として、生徒の頭ごしに、親と連絡をとったりすべきではない。ぼくは、そう考えています。
♣♣
むかし、中学に勤めていた頃、担任の生徒の父親から電話がかかり、会いたいということです。その、ある私立大学の学生課に勤める父親は、学校に現われると、子供に会いたいというのです。父親が学校に来て、子供に会いたいとは、変な話だな、と思いました。
二人が、ぼくの前で会って、父親が母親のことや、今住んでる住所などをきいていることから、ぼくには、だいたいの察しがついてきました。母親に男ができて、子供をつれて家出したらしいのです。父親は、その後、何度も学校にやってきました。ぼくが担任をしているその子供は、別に父親に会うのを嫌がりもしていないので、二人が学校で会うために、便宜をはかっていた訳です。
そうしているうちに、父親は、母親に会えるように取計らってほしいと頼みました。あんまり気が進まなかったけれど、しかたなく約束させられたのです。母親に連絡すると会わないという返事です。それで、次に父親が来た時、その旨伝えると、彼は、いかにもぼくの努力が足りないような言い草で、不満を表明したのです。
ぼくは、ええかげん頭にきて、
「学校は家裁とちがいますよ。ぼくは教師ですが、調停員ではありません」
と、言明したのでした。
高校に替ってすぐの頃、三年生の学年主任の先生が、ぼくを呼び、ぼくの担任の生徒の親を呼び出してあるから、同席するように伝えました。
ほっそりとした母親が現われると、その学年主任は、ダミ声を張りあげ、頭ごなしに、「お母さん、子供の将来もあることですから、家庭の乱れは大問題です。子供は母親を心の依り所にしていますから、生活態度を正してもらわないと困ります」
その美しい母親はただ恐縮しており、傍のぼくは、まるで自分が叱られたみたいに、オロオロしていました。
なんで、こういう事になったのかはよく分りませんでした。生徒が別に悪いことをした訳でもありません。ぼくは、ただ、その学年主任が事情を聞こうともしないで、頭ごなしに叱りつけたのに腹が立っていました。だから、別れぎわに、「あの先生はああいういい方をする人ですから。まあ、家庭のことは、ぼく達が分らないことが色々あるでしょうから、どうか気にしないで下さい」といっておきました。
その生徒がしばらくして、ぼくに語った所では、母親は未亡人で、世話をしているおじさんが時々家に来る。お母さんは、もっと愛想よくしてほしがっているのは分るが、ボクはその男がきらいだ、ということでした。
「お母さんはお母さん。一人の人間やし、一人の女や。お前はお前や。まあ、大人になって、君も女ができたら、分るかも知れん。それまでは人のことほっといて勉強せえ」
卒業式の翌日、彼は、「お母さんが持っていけといった」といって、ウイスキーを持って家に来ました。
♣♣♣
ある年度、ぼくはまた三年生の担任をもつことになりました。一人の女の先生が、
「センセのクラスにFいう生徒がいます。二年の担任だったけどすごい問題生徒よ。友だちはほとんどいないし、学校に来ないの。わたし毎日電話したら、電話を改造して、ベルが鳴らないようにしてしまったんよ」
それまでのぼくの経験で、「すごくいい子」と告げられた生徒のことを問題児だと思ったことはあっても、問題生徒と前評判のあった生徒が問題だなんて、一回も思ったことがなかったので、「そうですか」とだけいって、気にもとめませんでした。
F君は本当に全く学校に現われません。ホームルームで聞いてみると、一人だけ、時々電話してくるという彼の友人がいました。「自分で学校と同じ時間割で勉強してるようです。中間テストは受けるというてました」ぼくは少し安心し、まあその時にでも話してみようと思いました。
中間テストを受けに釆たF君をつかまえ、
「もしよかったら、一度話したいんやけど……」
とだけいっておきました。けれどテストが終る日になっても彼はやって来ませんでした。欠席が五分の一をオーバーすると落第という学校の規定があります。困ったな、と思っていると、数日して、彼が現われました。彼が語ったことは、こんなことでした。
五分の一の規定は知っている。自分で勉強する方が能率があがる。天体観測をやっているので、徹夜することが多い。共働きの両親は朝早いので休んでいるのを知らない。分るとうるさい。顔をみるのもいやなので、メシも自分で作って喰べる。パンとジュースで済ますことが多い。将来は天文台に勤めたい。
これに対してぼくは、こんなことを話しました。
五分の一以内の欠席なら、責任をもつ。自分でよく計算してオーバーしないように。時々教師に聞きにいって、欠席時数を確かめること。昼のホームルームに出なかった時は、連絡事項を友だちから聞くこと、パンとジュースでは、身体をこわすから、今日早速本屋で料理の本を買うこと。
「お前、電話改造したんやそうやな」
とぼくがいうと、
「簡単ですよ。ネジ一本で底をはづして、ベルに紙はさんだだけです」
「なーんや、改造というほどでもないなあ」
と、ぼく達は笑い合ったのです。
彼の母親は、最初の頃、かなりヒステリックな調子で「なんとかなりませんか」と電話してきたりしました。でも、ぽくが、「彼はちゃんと考えてやってるようですから、大丈夫でしょう」などと答えているので、とうとうあきらめて、電話もかからなくなりました。
ぼくは、彼に関しては、「まかす主義」でやろうと思っていました。「まかす主義」と「放任主義」は似ていますが、全く別のものです。
F君は、五分の一ボーダーが近づく頃より、きちんと出席し、無事卒業しました。おまけに、早稲田大学の理学部に合格したのでした。
♣♣♣♣
ぼくはもう、十数年このかた床屋に行ったことがありません。とはいっても、一生髪の毛を切らないシーク教徒というようなもんではなく、家で散髪してもらうことにしているのです。タバコを吸い、本を読みながらの庭での散髪は、なかなか気分がよい。
ある土曜日の午後、眠気をさそう春ののどかな空気の中で、散髪をやってもらっていたら、一人の男が玄関先を回って、庭にやってきました。
「ご主人、海外にいかれることはないんですか」
チャキ、チャキという鋏の声をききながら、トロリとしていたぼくは、この不意の閣入者に気分はあんまりよくなくて、「え、うん、まあ」などといっていると、
「海外旅行も盛んですし、やはり語学ができるのとできないのはエライちがいです」
そうか、英会話教材のセールスか。
「毛唐の言葉はキライやねん。ヮシ何べんも外国いったけど、みんな日本語で通しとるんや」
女房が鋏を動かしながら笑いをかみ殺しているのが分りました。
セールス氏は、意外とあっさりあきらめ、
「ところで奥さん、お子様は……。あ、そうですか、小学生。いやあ、それくらいから、英語はやっとかないとものになりません」
ぼくは、「なんでや」とききました。いや、それからがスゴかった。セールス氏は、とうとうと、語学教育論をぶち始めたのです。なかなか学問的でした。ぼくも興味にかられ、いちいち反論したんです。彼も負けてはいなかった。まあ相当のセールス教育を受けているのでしょう。そのうち彼は、ぼくを論破するのはあきらめたようで、
「お考えは分ります、でも、そういう考えでは、お子さんが可哀そうです」
その時、ぽくの怒りが爆発したんです。
「なんでオレが、あんたに説教されないかんねや。子供の教育のことで。お前なに様やねん」
あとで考えてみても、なぜあれほど腹が立ったのかよく分らない。ただ、そのセールス氏の口説きを聞いて、世の親が、いかに教育という言葉の呪文に弱いか、ということがよく分りました。
教師は、「子供のために」という副詞句と「教育的な」という形容詞のエックスキューズさえあれば、何でも家庭に要求できると思っているかのようです。一方、親の側では、子を想う親の心は闇、とりあえず何でも学校に要求すればかたづくと思っている。その狭間で、当の生徒は、宙ぶらりんです。そして、学校も家庭もお互いに、「責任はそっちにある」といい合っているかのようです。
教師は、二重スパイ的な性格をできるだけおさえ、家庭と学校は、その境界と責任の範囲を明確にすることから初めなければならないのではないでしょうか。
自分の子供が学齢期に達し、学校にゆくようになると、ぼくも父親ということになったらしく、父兄会とか両親学級とかの通知がやってくるようになりました。
女房は、行きましょうと誘います。でも、そうしたものは、決まって、日曜日とか、祭日とか、ぼくの最も重要な時間にあるのが普通でした。ほとんどスケジュールが詰っていど、あんまり行ったことありません。
息子が小学校の時、母親が、個人懇談というのに出席して帰ってくると、
「お父さんは、もっと一緒に遊んであげてほしい」と担任の先生がいったと、ぼくに話しました。女房に、よく問いただしてみたのですが、息子が、担任にそう告げたのではないようです。どうやら、息子の情緒不安定な状況から、担任がそう推測したらしいのです。
その先生の気持は分らぬではなかったけれど、ぼくは、頭にきました。
「なに、遊んでやれ。どうやって遊ぶんだ。ゲームするんか。トランプするんか。相撲とるんか。そんなことしとるヒマがあるか。若僧が、遊んでやれだと。えらそうなこというな」
ぼくは、息子にサービスする気なんか全くないし、自分が遊ぶことだけで精一杯です。まあ、子供もー緒に遊べることなら、一緒にやるのは別にイヤでもありません。だから、スキーにしろ山にしろ、連れていくこともある。しかし、そうした計画は、ほとんどの場合、あくまでもぼくが行くのであって、子供達のためのもんではありません。
それにぼくが、なんの相談もしていないのに、担任に、家のことまで指図されるいわれは全くない。だいたい教師は、あつかましく、家の内部のことにまで口出ししすぎる。
もし、ある生徒に、なんらかの情緒反応とか、異常な行動があったとしても、そんな単純な憶測だけで、父親・母親にえらそうに指図すべきではないと思うのです。だから、ぼくの子供のような場合、担任は、父親と遊んでいないのが原因かどうかを、まず本人を観察したり、たずねたりして、確認すべきでしょう。そして、かりにそうだ、それが原因だということになっても、なにも、親にいうべきではない。なにより、その児童・生徒本人に、「お父さんに遊んでほしいと自己表示しろ」ということをアドバイスすべきなのではないか。そう思うのです。
だいたい教師は、生徒と家庭との二重スパイみたいな役割を負わされている訳ですが、そうした認識は、あまりない。一生懸命にスパイに精を出す先生が、熱心な先生だみたいなことにもなっている。
賢い生徒が、二重スパイに、本当の心のうちを明かす訳がありません。だから、教師は、原則として、生徒の頭ごしに、親と連絡をとったりすべきではない。ぼくは、そう考えています。
♣♣
むかし、中学に勤めていた頃、担任の生徒の父親から電話がかかり、会いたいということです。その、ある私立大学の学生課に勤める父親は、学校に現われると、子供に会いたいというのです。父親が学校に来て、子供に会いたいとは、変な話だな、と思いました。
二人が、ぼくの前で会って、父親が母親のことや、今住んでる住所などをきいていることから、ぼくには、だいたいの察しがついてきました。母親に男ができて、子供をつれて家出したらしいのです。父親は、その後、何度も学校にやってきました。ぼくが担任をしているその子供は、別に父親に会うのを嫌がりもしていないので、二人が学校で会うために、便宜をはかっていた訳です。
そうしているうちに、父親は、母親に会えるように取計らってほしいと頼みました。あんまり気が進まなかったけれど、しかたなく約束させられたのです。母親に連絡すると会わないという返事です。それで、次に父親が来た時、その旨伝えると、彼は、いかにもぼくの努力が足りないような言い草で、不満を表明したのです。
ぼくは、ええかげん頭にきて、
「学校は家裁とちがいますよ。ぼくは教師ですが、調停員ではありません」
と、言明したのでした。
高校に替ってすぐの頃、三年生の学年主任の先生が、ぼくを呼び、ぼくの担任の生徒の親を呼び出してあるから、同席するように伝えました。
ほっそりとした母親が現われると、その学年主任は、ダミ声を張りあげ、頭ごなしに、「お母さん、子供の将来もあることですから、家庭の乱れは大問題です。子供は母親を心の依り所にしていますから、生活態度を正してもらわないと困ります」
その美しい母親はただ恐縮しており、傍のぼくは、まるで自分が叱られたみたいに、オロオロしていました。
なんで、こういう事になったのかはよく分りませんでした。生徒が別に悪いことをした訳でもありません。ぼくは、ただ、その学年主任が事情を聞こうともしないで、頭ごなしに叱りつけたのに腹が立っていました。だから、別れぎわに、「あの先生はああいういい方をする人ですから。まあ、家庭のことは、ぼく達が分らないことが色々あるでしょうから、どうか気にしないで下さい」といっておきました。
その生徒がしばらくして、ぼくに語った所では、母親は未亡人で、世話をしているおじさんが時々家に来る。お母さんは、もっと愛想よくしてほしがっているのは分るが、ボクはその男がきらいだ、ということでした。
「お母さんはお母さん。一人の人間やし、一人の女や。お前はお前や。まあ、大人になって、君も女ができたら、分るかも知れん。それまでは人のことほっといて勉強せえ」
卒業式の翌日、彼は、「お母さんが持っていけといった」といって、ウイスキーを持って家に来ました。
♣♣♣
ある年度、ぼくはまた三年生の担任をもつことになりました。一人の女の先生が、
「センセのクラスにFいう生徒がいます。二年の担任だったけどすごい問題生徒よ。友だちはほとんどいないし、学校に来ないの。わたし毎日電話したら、電話を改造して、ベルが鳴らないようにしてしまったんよ」
それまでのぼくの経験で、「すごくいい子」と告げられた生徒のことを問題児だと思ったことはあっても、問題生徒と前評判のあった生徒が問題だなんて、一回も思ったことがなかったので、「そうですか」とだけいって、気にもとめませんでした。
F君は本当に全く学校に現われません。ホームルームで聞いてみると、一人だけ、時々電話してくるという彼の友人がいました。「自分で学校と同じ時間割で勉強してるようです。中間テストは受けるというてました」ぼくは少し安心し、まあその時にでも話してみようと思いました。
中間テストを受けに釆たF君をつかまえ、
「もしよかったら、一度話したいんやけど……」
とだけいっておきました。けれどテストが終る日になっても彼はやって来ませんでした。欠席が五分の一をオーバーすると落第という学校の規定があります。困ったな、と思っていると、数日して、彼が現われました。彼が語ったことは、こんなことでした。
五分の一の規定は知っている。自分で勉強する方が能率があがる。天体観測をやっているので、徹夜することが多い。共働きの両親は朝早いので休んでいるのを知らない。分るとうるさい。顔をみるのもいやなので、メシも自分で作って喰べる。パンとジュースで済ますことが多い。将来は天文台に勤めたい。
これに対してぼくは、こんなことを話しました。
五分の一以内の欠席なら、責任をもつ。自分でよく計算してオーバーしないように。時々教師に聞きにいって、欠席時数を確かめること。昼のホームルームに出なかった時は、連絡事項を友だちから聞くこと、パンとジュースでは、身体をこわすから、今日早速本屋で料理の本を買うこと。
「お前、電話改造したんやそうやな」
とぼくがいうと、
「簡単ですよ。ネジ一本で底をはづして、ベルに紙はさんだだけです」
「なーんや、改造というほどでもないなあ」
と、ぼく達は笑い合ったのです。
彼の母親は、最初の頃、かなりヒステリックな調子で「なんとかなりませんか」と電話してきたりしました。でも、ぽくが、「彼はちゃんと考えてやってるようですから、大丈夫でしょう」などと答えているので、とうとうあきらめて、電話もかからなくなりました。
ぼくは、彼に関しては、「まかす主義」でやろうと思っていました。「まかす主義」と「放任主義」は似ていますが、全く別のものです。
F君は、五分の一ボーダーが近づく頃より、きちんと出席し、無事卒業しました。おまけに、早稲田大学の理学部に合格したのでした。
♣♣♣♣
ぼくはもう、十数年このかた床屋に行ったことがありません。とはいっても、一生髪の毛を切らないシーク教徒というようなもんではなく、家で散髪してもらうことにしているのです。タバコを吸い、本を読みながらの庭での散髪は、なかなか気分がよい。
ある土曜日の午後、眠気をさそう春ののどかな空気の中で、散髪をやってもらっていたら、一人の男が玄関先を回って、庭にやってきました。
「ご主人、海外にいかれることはないんですか」
チャキ、チャキという鋏の声をききながら、トロリとしていたぼくは、この不意の閣入者に気分はあんまりよくなくて、「え、うん、まあ」などといっていると、
「海外旅行も盛んですし、やはり語学ができるのとできないのはエライちがいです」
そうか、英会話教材のセールスか。
「毛唐の言葉はキライやねん。ヮシ何べんも外国いったけど、みんな日本語で通しとるんや」
女房が鋏を動かしながら笑いをかみ殺しているのが分りました。
セールス氏は、意外とあっさりあきらめ、
「ところで奥さん、お子様は……。あ、そうですか、小学生。いやあ、それくらいから、英語はやっとかないとものになりません」
ぼくは、「なんでや」とききました。いや、それからがスゴかった。セールス氏は、とうとうと、語学教育論をぶち始めたのです。なかなか学問的でした。ぼくも興味にかられ、いちいち反論したんです。彼も負けてはいなかった。まあ相当のセールス教育を受けているのでしょう。そのうち彼は、ぼくを論破するのはあきらめたようで、
「お考えは分ります、でも、そういう考えでは、お子さんが可哀そうです」
その時、ぽくの怒りが爆発したんです。
「なんでオレが、あんたに説教されないかんねや。子供の教育のことで。お前なに様やねん」
あとで考えてみても、なぜあれほど腹が立ったのかよく分らない。ただ、そのセールス氏の口説きを聞いて、世の親が、いかに教育という言葉の呪文に弱いか、ということがよく分りました。
教師は、「子供のために」という副詞句と「教育的な」という形容詞のエックスキューズさえあれば、何でも家庭に要求できると思っているかのようです。一方、親の側では、子を想う親の心は闇、とりあえず何でも学校に要求すればかたづくと思っている。その狭間で、当の生徒は、宙ぶらりんです。そして、学校も家庭もお互いに、「責任はそっちにある」といい合っているかのようです。
教師は、二重スパイ的な性格をできるだけおさえ、家庭と学校は、その境界と責任の範囲を明確にすることから初めなければならないのではないでしょうか。