リモーネの人々
リモーネ・ピエモンテに来るようになって10年近い年月が経った。知り合いの人たちも出来て来た。そこで、この地で近しくなった人たちについて書いてみることにする。
ペッペさんは、リモーネ・ピエモンテで一番のホテル、エクセルシオールのマネージャーである。ぼくが初めてこの地にやって来たとき、最初に接触した人で、とても人なつっこい笑顔が印象的だった。
この写真より二人とももう少し若かったと思う。この地区の役員だそうで大変親切で面倒見がいい。
アパート購入時のブリーフィングには、売買当事者だけではなくノータリー(公証人)と英語が話せる二人のウィットネス(立会人)が必要で、そのうちの一人は英語がしゃべれる人が必要であった。
ベッペさんは、この辺では数少ない英語が達者な一人だったので、お願いしたら快く引き受けてくれた。
夜になると、ホテルのレストランのソムリエに変身した。
アパートがあるリモネット村にはただ一軒のレストランがあった。そのオーナーはマリア・テレーザという快活なおばさんで、彼女はまた直ぐそばの2LDKのフラット(別荘用アパート)の所有者でもあった。ともは彼女からこのフラットを買い取ったという訳である。
この写真は、マリア・テレーザのレストランのテーブルで彼女の家族とのパーティーでのワンショット。彼女の旦那のジャンカルロと娘のアレッシアが写っている。
この部屋には、モナコ王子(グレース・ケリーの息子)を挿んだ夫婦の写真が掲げてあって、グレースケリーも時々やって来たという。
数年後に、彼女はレストランを売り払って、息子がいるミラノの東にあるブレシアに移ってしまった。
マリオは、クーネオにある不動産会社フォンド・カーサの社員で、フラット売買を世話した人である。
英語はあまり出来ないので、意思疎通が大変であった。いつも持参した小型の英語辞書を必死でめくりながら話した。
彼の口癖は、I can not understand. 一分間に数回の「アイ、キャンノット、アンダースタンド」が繰り返された。ぼくが、しかし、感心したのは、彼は決して独り合点や早とちりはしなかったことである。
すこしでも、聞き取れないこと、理解できないことがあると、アイキャンノット、アンダースタンドという。約2年近くかかったアパートの売買交渉や手続きが、たいした蹉跌もなく順調に完了したのは、彼によるところが大きいと思ったことだった。
単に不動産会社の社員というだけのことで、その仕事はとっくに終わっているはずなのに、いまでも頼めばいろいろと面倒を見てくれる。きっと親切な人なのだろう。
お母さんは、幼稚園の園長さんだそうである。
ホテル・エクセルシオールのお客はみんなといっていいくらい常連客なのだが、この写真の左端の男は、イギリス人のスティーブ。香港で音楽プロデュースの仕事をしている。
リモーネ・ピエモンテのスキー場が気に入って毎年のように通いつめ、イタリア語も自然に習得したという。奥さんは、マレーシア系のイギリス人で、ファッションモデルだそうである。母親を含めた家族で来ることも多いらしいが、そのファッションモデルの奥さんと顔を合わせたことはまだない。
ぼくが最初にスキーに来たとき、スキーガイドとして、ベッペさんが紹介してくれたのが、このスティーブだった。
ちょうどその時、ともの誕生日がやって来たので、みんなを招待して近くの山上レストランでパーティを開いた。
左端スティーブの隣は、ベッペさんの奥さんのエリザ。右端はとも、隣がマリオである。中央はベッペさん。
リモーネ・ピエモンテの馴染みのお肉屋さんには、とても美味しいプロシュート・クルード(生ハム)がある。肉屋さんは2軒あるのだが、もう一方のプロシュートは塩味がきつくてあまり好きではない。一度プロシュートを買ってからは二度と行ったことはない。
さて、この教会の裏手のお肉屋さんの奥さんカルラは、とても世話好きで、美味しいレストランはどこだとか、いろいろと教えてくれる。出身がランゲ地方なので、その地の有名な美食の村ラモッラのことなど、ガイドブックなどを出してきて細々と教えてくれる。
昨年の雪不足の年などは、どこのスキー場に雪があり、どう行けばよいかなど、行くたびに懇切に教えてくれた。
こちらがなにか聞こうものなら、二階に駆け上がり資料を抱えて降りてくる。
はじめの頃は、英語などまったく通じなかったのだが、最近は旦那のジャコモが、
「See you tomorrow」などというので、驚いた。
「あんた、英語しゃべれるではないか」
「いやいや、あんた達と話さないといけないので勉強してるんです」
いやいや、「ブラーボ、モルトベーネ!」でありました。
ここのステーキ肉は、白い脂身のまったくない赤身のピエモンテ牛なのだが、これが焼くと、じんわりと脂がのった味でなんとも美味なのである。
また、高級レストランの前菜にもよく出るカルネクルーダ(生肉)も美味しくて、毎日でも食べたいほどである。
200gほどをオーダーするとミンチにしてくれる。
上等のレストランでは、とんとん叩いて切っているようだが、ミンチにしてもらえば、皿に盛ってオリーブ油とパルミジャーノの振りかけるだけ。実に簡単でいい。
今回、都をどりのポスターを持参してプレゼントしたら、早速店に張り出した。
そして、帰りの挨拶に出向いたらお返しにと、最近出版されたというピエモンテの写真集をプレゼントしてくれた。
ノータリー(公証人)のアルド氏とは、最初の頃から世話になった。公証人は不動産売買には不可欠で、そのすべてを取り仕切ることになる。
最初に会った時から、「日本の肉はおいしい」といい、いつも神戸牛だけではなくて、京都の牛も美味しいなどといった。
だから次の時には、上等のステーキ肉をお土産に持って行った。すると彼は、クーネオで一番のレストランに招待してくれた。こうしたことが繰り返され、今では、なんだか慣例のようになっている。
ぼくは当然彼は日本に来たことがあると思っていた。実は来たことはないのを知ったのは大分後のことだった。ぼくは驚いて、でも「日本の肉はおいしい」と言ったではないか、と質したら、そんなことは誰でも知ってるだろう、と答えた。
アルド氏の事務所は、クーネオの中央広場に面した町の中心にある。
黒のメタルに金文字の大きな表札の脇の木の扉を開けて中に入る。
薄暗い階段を上がると、NOTAIO(公証人)アルド・サロルディとガラスに書いてあるドア。
このドアの中は待合室になっている。
その奥に彼の部屋と事務の女性数人がいる部屋がある。
「今年になって2階から3階に部屋替えしたから少し広くなったでしょ。それに光も沢山入って明るいし」と彼はうれしそうだった。
うっかりして忘れていたのだが、最重要な人物がいた。
リモネット村の住人で、ぼくが勝手に「薪のおじさん」と呼んでいる人である。名前は、たしかルイージという。
リモネットやリモーネピエモンテで、薪を入手するのは困難である。売っている店がない。この地に着いて、最初にしないといけないのが、暖炉用の薪の手配。
アパートは勿論セントラルヒーティングなのだが、夜の10時から朝の6時までは、暖房は切れる。冬はもちろんのこと、夏であっても、時としては、暖房が欲しくなるのだ。
薪のおじさんは、薪用の倉庫コンテナーを持っていて、充分の備蓄がある。アパートからおじさんの家までは、5分くらい。まったく英語は駄目なので、最初は「レーニャ(薪)、レーニャ」を繰り返していたのだが、最近では何も言わなくても分かるようになった。
ペッペさんは、リモーネ・ピエモンテで一番のホテル、エクセルシオールのマネージャーである。ぼくが初めてこの地にやって来たとき、最初に接触した人で、とても人なつっこい笑顔が印象的だった。
この写真より二人とももう少し若かったと思う。この地区の役員だそうで大変親切で面倒見がいい。
アパート購入時のブリーフィングには、売買当事者だけではなくノータリー(公証人)と英語が話せる二人のウィットネス(立会人)が必要で、そのうちの一人は英語がしゃべれる人が必要であった。
ベッペさんは、この辺では数少ない英語が達者な一人だったので、お願いしたら快く引き受けてくれた。
夜になると、ホテルのレストランのソムリエに変身した。
アパートがあるリモネット村にはただ一軒のレストランがあった。そのオーナーはマリア・テレーザという快活なおばさんで、彼女はまた直ぐそばの2LDKのフラット(別荘用アパート)の所有者でもあった。ともは彼女からこのフラットを買い取ったという訳である。
この写真は、マリア・テレーザのレストランのテーブルで彼女の家族とのパーティーでのワンショット。彼女の旦那のジャンカルロと娘のアレッシアが写っている。
この部屋には、モナコ王子(グレース・ケリーの息子)を挿んだ夫婦の写真が掲げてあって、グレースケリーも時々やって来たという。
数年後に、彼女はレストランを売り払って、息子がいるミラノの東にあるブレシアに移ってしまった。
マリオは、クーネオにある不動産会社フォンド・カーサの社員で、フラット売買を世話した人である。
英語はあまり出来ないので、意思疎通が大変であった。いつも持参した小型の英語辞書を必死でめくりながら話した。
彼の口癖は、I can not understand. 一分間に数回の「アイ、キャンノット、アンダースタンド」が繰り返された。ぼくが、しかし、感心したのは、彼は決して独り合点や早とちりはしなかったことである。
すこしでも、聞き取れないこと、理解できないことがあると、アイキャンノット、アンダースタンドという。約2年近くかかったアパートの売買交渉や手続きが、たいした蹉跌もなく順調に完了したのは、彼によるところが大きいと思ったことだった。
単に不動産会社の社員というだけのことで、その仕事はとっくに終わっているはずなのに、いまでも頼めばいろいろと面倒を見てくれる。きっと親切な人なのだろう。
お母さんは、幼稚園の園長さんだそうである。
ホテル・エクセルシオールのお客はみんなといっていいくらい常連客なのだが、この写真の左端の男は、イギリス人のスティーブ。香港で音楽プロデュースの仕事をしている。
リモーネ・ピエモンテのスキー場が気に入って毎年のように通いつめ、イタリア語も自然に習得したという。奥さんは、マレーシア系のイギリス人で、ファッションモデルだそうである。母親を含めた家族で来ることも多いらしいが、そのファッションモデルの奥さんと顔を合わせたことはまだない。
ぼくが最初にスキーに来たとき、スキーガイドとして、ベッペさんが紹介してくれたのが、このスティーブだった。
ちょうどその時、ともの誕生日がやって来たので、みんなを招待して近くの山上レストランでパーティを開いた。
左端スティーブの隣は、ベッペさんの奥さんのエリザ。右端はとも、隣がマリオである。中央はベッペさん。
リモーネ・ピエモンテの馴染みのお肉屋さんには、とても美味しいプロシュート・クルード(生ハム)がある。肉屋さんは2軒あるのだが、もう一方のプロシュートは塩味がきつくてあまり好きではない。一度プロシュートを買ってからは二度と行ったことはない。
さて、この教会の裏手のお肉屋さんの奥さんカルラは、とても世話好きで、美味しいレストランはどこだとか、いろいろと教えてくれる。出身がランゲ地方なので、その地の有名な美食の村ラモッラのことなど、ガイドブックなどを出してきて細々と教えてくれる。
昨年の雪不足の年などは、どこのスキー場に雪があり、どう行けばよいかなど、行くたびに懇切に教えてくれた。
こちらがなにか聞こうものなら、二階に駆け上がり資料を抱えて降りてくる。
はじめの頃は、英語などまったく通じなかったのだが、最近は旦那のジャコモが、
「See you tomorrow」などというので、驚いた。
「あんた、英語しゃべれるではないか」
「いやいや、あんた達と話さないといけないので勉強してるんです」
いやいや、「ブラーボ、モルトベーネ!」でありました。
ここのステーキ肉は、白い脂身のまったくない赤身のピエモンテ牛なのだが、これが焼くと、じんわりと脂がのった味でなんとも美味なのである。
また、高級レストランの前菜にもよく出るカルネクルーダ(生肉)も美味しくて、毎日でも食べたいほどである。
200gほどをオーダーするとミンチにしてくれる。
上等のレストランでは、とんとん叩いて切っているようだが、ミンチにしてもらえば、皿に盛ってオリーブ油とパルミジャーノの振りかけるだけ。実に簡単でいい。
今回、都をどりのポスターを持参してプレゼントしたら、早速店に張り出した。
そして、帰りの挨拶に出向いたらお返しにと、最近出版されたというピエモンテの写真集をプレゼントしてくれた。
ノータリー(公証人)のアルド氏とは、最初の頃から世話になった。公証人は不動産売買には不可欠で、そのすべてを取り仕切ることになる。
最初に会った時から、「日本の肉はおいしい」といい、いつも神戸牛だけではなくて、京都の牛も美味しいなどといった。
だから次の時には、上等のステーキ肉をお土産に持って行った。すると彼は、クーネオで一番のレストランに招待してくれた。こうしたことが繰り返され、今では、なんだか慣例のようになっている。
ぼくは当然彼は日本に来たことがあると思っていた。実は来たことはないのを知ったのは大分後のことだった。ぼくは驚いて、でも「日本の肉はおいしい」と言ったではないか、と質したら、そんなことは誰でも知ってるだろう、と答えた。
アルド氏の事務所は、クーネオの中央広場に面した町の中心にある。
黒のメタルに金文字の大きな表札の脇の木の扉を開けて中に入る。
薄暗い階段を上がると、NOTAIO(公証人)アルド・サロルディとガラスに書いてあるドア。
このドアの中は待合室になっている。
その奥に彼の部屋と事務の女性数人がいる部屋がある。
「今年になって2階から3階に部屋替えしたから少し広くなったでしょ。それに光も沢山入って明るいし」と彼はうれしそうだった。
うっかりして忘れていたのだが、最重要な人物がいた。
リモネット村の住人で、ぼくが勝手に「薪のおじさん」と呼んでいる人である。名前は、たしかルイージという。
リモネットやリモーネピエモンテで、薪を入手するのは困難である。売っている店がない。この地に着いて、最初にしないといけないのが、暖炉用の薪の手配。
アパートは勿論セントラルヒーティングなのだが、夜の10時から朝の6時までは、暖房は切れる。冬はもちろんのこと、夏であっても、時としては、暖房が欲しくなるのだ。
薪のおじさんは、薪用の倉庫コンテナーを持っていて、充分の備蓄がある。アパートからおじさんの家までは、5分くらい。まったく英語は駄目なので、最初は「レーニャ(薪)、レーニャ」を繰り返していたのだが、最近では何も言わなくても分かるようになった。