西パキスタンの旅 最終話「幻の峠を求めてーエピローグー」
サーブ、結婚しろ
極度にやせた、ハラハリ氷河左岸のサイドモレーンのナイフリッジをたどる。
リッジの右側はモレーン壁の原型をとどめ、その底には小さたアプレーション・バレー。
左側はスッパリと切れ落ち、その侵食壁の下には、大小の岩石におおわれたハラハリ氷河が横たわる。
そして、その約1000mの氷河幅の向こうには、壁に小さな懸垂氷河を引掛けた岩峰が連なっている。
5000m峰だ。登るとすればかなり困難な登攣となるだろう。
アルプス、コーカサスの峰々はその壁という壁が登りつくされているというのに、ここでは、その頂上に立った者さえいないのだ。
私たちが、このぜいたくな景色に、悦に入っていると、30kg近い荷を持ったフェルドースが、振り向きざま、
「サーブ、この道は俺たちしか行けぬ」と口をとがらせて話しかけてくる。ウルドーをいうときだけそうするのが、彼のクセらしい。
「どうだサーブ、サーブはしあわせか」確かに連中のバランスは素晴らしい。とてもガブラル村のポーターの比ではない。
しかし、この押しの強さはどうだ。彼らの個性の強さもまた、カブラルの連中の比ではない。
フェルドース、今度は中村の方を向くと、まったくヤブから棒に「サーブ、ハラハリ村で結婚しろ」
「中村があっけにとられて、ポカンとしていると、フェルドースは右手を差し出し、人差指に中指をからませたサインをした。そしてさらに、それに左手の人差指を当てがった。
中村は少々怒り、赤くなり「トゥム、アッチャーナヒーン」(君はよくない)」と叫んだ。
私たちは、「そうせい、そうせい。なかなかええ娘がおったやんけ」などとはやした。
彼は、自称、パキスタン娘にモテるのだ。たとえば、インダスルートへの途中、カローラという部落に泊まったときなど、女の子が後ろについて回るので、小便するのに困ったそうだ。もっとも、そういう光景を私たちは見てはいないのだが‥…・。
七月二十三日、私たちはハラハリ村のポーターたちと一緒に、ハラハリ氷河を登り、峠を目ざしていた。
同行のポーター六人。
アブドラーマン(六〇)、ビリアムカーン(三〇)、ムシュラップカーン(二八)、フェルドース(二五)、サドバル(二五)、サダップ(二五)。
みんな屈強の男どもだ。ひとクセもふたクセもありげなつらがまえである。
私たちは、ビリアムカーンにさっそく、〈悪役〉というあだ名をつけた。彼は、まさに西部劇の悪役の顔をしている。
例外はフェルドース。彼は金持ちのぼんぼんタイプのやさ男だ。
ビリアムカーンは、ハラハリ村の実力者の一人だ。ちなみに、彼の財産はヒツジ二〇〇頭、ウシ八頭、ウマ二頭。
もう一人の実力者は、シェール(六〇)であって、彼の所有するヒツジは三〇〇頭。
こういうことは、もちろんのちほどの定着調査で分ったのだが、たとえば、フェルドースとムシュラップカーンは、このシュール派に属する。
シュールの娘は、フエルドースの妻である。シェールの妻は、ムシュラップカーンの姉マルジャン(四〇)だ。つまり、この二人は、シュールの義理の息子であり弟なのだ。
一方、ビリアムカーン派に属するのは、サダップとサドバル。
サダップの母親は、ビリアムカーンの父親アダル・ハーレツク(七〇)の妹である。つまり二人はいとこ同志だ。サドバルは、ビリアムカーンの使用人である。
このどちらの派にも属さないのが、アブドラーマンである。
誇り高い山人
四〇才の妻に、三人の子供。一番上の子供はまだ一〇才だ。一番下は二才。この子供を抱いた彼の目からは、あの鋭さが消える。
若いころ、多くの氷河の旅を行なったシカリー(猟師)仲間は、病気や氷の割れ目に落ちたりして、もう一人も生きてはいない。だから、自分だけが、この峠越えの道を知っているのだ、と彼はいった。
彼は、誇り高い山人なのだろう。村では、他の村人とはほとんど離れていて、ともに談笑することもなかった。
この峠越えで、彼は、私たちの荷物を運ぶことを拒んだ。持たせようとするビリアムカーンに、彼は憤然としていった。
「ワシはジャマダール(リーダー)だ。お前たちのアタ(小麦粉・食糧)はワシが持つ。それ以外は何も持たない」
このときのことを根に持っていたのか、ビリアムカーンは、サイドモレーン上の休憩のときに、こういった。
「こんな峠越えなんぞ、簡単なもんだ。俺一人でも行ける」
「なんじゃと」やはり、彼は、かん高い声を上げて、ひらきなおった。「ワシが先導しなくて氷の割れ目を進めるというのか。よし、それならお前先頭に立て!ビリアムカーン」
ビリアムカーンは、シュンとして黙ってしまった。
間もなく、サイドモレーンはつきた。ポーターはここで泊まりだといった。4050m。
なるほど、このあたりが厳密な意味での植物限界なのだ。アブレーション・バレーの向こうの岩壁には、小さな灌木がある。ポーターたちの貴重な燃料だ。
その木を取りに、岩壁を攣じるサダップ。たくみなクライムを、サーブたちは感心して眺めている。
サドバルがいい声で歌をうたう。〈シーリンジャーナー〉、彼の十八番だ。シーリンという美少女を歌ったものだ。その一節。〈川がある。そのほとりにシーリンが立っている。少年がやって来た。彼はいう。手をお出し。手をとって渡してあげよう〉
基線測量をようやく終えると、すぐに夜がきた。
午前四時、「サーブ、サーブ」ポーターたちがテントをたたく。着のみ着のままで一夜を明かした彼らは、三時から起き出して、寒さに歯を鳴らしていたという。
早くしないと雪がゆるんで危険だ、急げ、とさんざんせかされたけれど、羽毛服を着込んだサーブたちは、紅茶を飲んで、いやにゆっくりとテントをたたんでいる。明け始めた氷河の白に、モレーンに立つポーターたちのシルエットが美しい。
六時出発。
すぐ氷河へ。ものすごく早いピッチ。私たちは必死で後を追う。トップに立つアブドラーマンは、手に細い木のツエ、足にヒツジの革を巻きつけただけのいでたちで、凍雪を踏んで行く。
突然、彼が雪にうづくまった……と見えたのは誤りで、ヒドン・クレバスに落ち込んだのだ。
やがて、朝日が雪を赤く染め始めた。
ふと気がつくと、もう氷の壁が目前に迫っている。でも、峠はどこにあるのだろう。
マナリ・アンに立つ
高度4200m地点で休憩。パドルの水を飲む。出発のとき、ポーターたちは、手を天に向けて、アラーに祈った。ごく自然に私たちもこれにならった。
急に、右手のはるか上に、岩の切れ目が現われ、峠が見えた。ハラハリ氷河はそのどんづまりで、直角に右に曲がると、急激に峠にのし上げていた。
アブドラーマンは、セラック帯の立ち並ぶ氷塔めがけて、一文字に進んだ。
それは、私たちのルートファインディングの意表をついていた。だが驚いたことに、彼の前には、常にルートが展開した。
クレバスにはスノーブリッジがあり、スノーウォールにはレッジがあった。
クモの巣のように走るクレバスをぬって、それは、まさに動物的なルートファインディングとしかいいようがなかった(しかし、この点について疑問を感じた関田が、のちほど問いただした結果、彼が数週間前にこのルートを通ったことが判明した)。
そして、ときどき、彼は手オノを振って、カッティングを行なった。
手オノのカッティング、とび散る氷片、切り出された足場にゆっくりと置かれるヒツジの革を巻きつけた足‥…・。私は、何か、失われたショウを見る気持で眺めていた。
高度にして200mほどのセラック帯を抜けると、あとは坦々とした雪の登りが続いていた。
ホッとした私たちは、ここで初めて、ゆったりとくつろぎ、ハラハリ氷河右岸の峰々を眺めた。
そのとき、「サーブ」とアブドラーマンが語りかけた。「ワシは、サーブたちに金でやとわれて案内したんじゃない」彼の声はいつものようにキンキンとはひびかず、低かった。
「あんた方はワシたちの友達になれると思ったんだ。それにサーブたちは、ウルドーが話せる。何年か前にも、よその国のサーブに頼まれて、一日五〇ルピー出すといわれたが、ワシは断った。こんな危ねえ所へ、気心の知れねえもんと来るなんて、いくら金を積まれてもゴメンだね」
私たちは、雪の白に区切られた蒼穹の底に向かってあえぎ登った。その蒼色の円弧は、いつとはなしに広がり、やがて、ポチリと突起が現われ、次々と向こうの山の頂がせり上がってきた。ラースプールの山々だった。
私たちは、知られざる峠、マナリ・アンに立って、これらの山々を見ていた。10時半だった。
この景色を眺めるのは、私たちが最初だな、とふと思ったけれど、特に感激したわけではない。
マナリ・アンは、西パキスタンの旅のエピローグであった。そして、ハラハリ村の連中との叙事詩的な交わりの中の、一つのエピソードにすぎなかった。(おわり)
極度にやせた、ハラハリ氷河左岸のサイドモレーンのナイフリッジをたどる。
リッジの右側はモレーン壁の原型をとどめ、その底には小さたアプレーション・バレー。
左側はスッパリと切れ落ち、その侵食壁の下には、大小の岩石におおわれたハラハリ氷河が横たわる。
そして、その約1000mの氷河幅の向こうには、壁に小さな懸垂氷河を引掛けた岩峰が連なっている。
5000m峰だ。登るとすればかなり困難な登攣となるだろう。
アルプス、コーカサスの峰々はその壁という壁が登りつくされているというのに、ここでは、その頂上に立った者さえいないのだ。
私たちが、このぜいたくな景色に、悦に入っていると、30kg近い荷を持ったフェルドースが、振り向きざま、
「サーブ、この道は俺たちしか行けぬ」と口をとがらせて話しかけてくる。ウルドーをいうときだけそうするのが、彼のクセらしい。
「どうだサーブ、サーブはしあわせか」確かに連中のバランスは素晴らしい。とてもガブラル村のポーターの比ではない。
しかし、この押しの強さはどうだ。彼らの個性の強さもまた、カブラルの連中の比ではない。
フェルドース、今度は中村の方を向くと、まったくヤブから棒に「サーブ、ハラハリ村で結婚しろ」
「中村があっけにとられて、ポカンとしていると、フェルドースは右手を差し出し、人差指に中指をからませたサインをした。そしてさらに、それに左手の人差指を当てがった。
中村は少々怒り、赤くなり「トゥム、アッチャーナヒーン」(君はよくない)」と叫んだ。
私たちは、「そうせい、そうせい。なかなかええ娘がおったやんけ」などとはやした。
彼は、自称、パキスタン娘にモテるのだ。たとえば、インダスルートへの途中、カローラという部落に泊まったときなど、女の子が後ろについて回るので、小便するのに困ったそうだ。もっとも、そういう光景を私たちは見てはいないのだが‥…・。
七月二十三日、私たちはハラハリ村のポーターたちと一緒に、ハラハリ氷河を登り、峠を目ざしていた。
同行のポーター六人。
アブドラーマン(六〇)、ビリアムカーン(三〇)、ムシュラップカーン(二八)、フェルドース(二五)、サドバル(二五)、サダップ(二五)。
みんな屈強の男どもだ。ひとクセもふたクセもありげなつらがまえである。
私たちは、ビリアムカーンにさっそく、〈悪役〉というあだ名をつけた。彼は、まさに西部劇の悪役の顔をしている。
例外はフェルドース。彼は金持ちのぼんぼんタイプのやさ男だ。
ビリアムカーンは、ハラハリ村の実力者の一人だ。ちなみに、彼の財産はヒツジ二〇〇頭、ウシ八頭、ウマ二頭。
もう一人の実力者は、シェール(六〇)であって、彼の所有するヒツジは三〇〇頭。
こういうことは、もちろんのちほどの定着調査で分ったのだが、たとえば、フェルドースとムシュラップカーンは、このシュール派に属する。
シュールの娘は、フエルドースの妻である。シェールの妻は、ムシュラップカーンの姉マルジャン(四〇)だ。つまり、この二人は、シュールの義理の息子であり弟なのだ。
一方、ビリアムカーン派に属するのは、サダップとサドバル。
サダップの母親は、ビリアムカーンの父親アダル・ハーレツク(七〇)の妹である。つまり二人はいとこ同志だ。サドバルは、ビリアムカーンの使用人である。
このどちらの派にも属さないのが、アブドラーマンである。
誇り高い山人
四〇才の妻に、三人の子供。一番上の子供はまだ一〇才だ。一番下は二才。この子供を抱いた彼の目からは、あの鋭さが消える。
若いころ、多くの氷河の旅を行なったシカリー(猟師)仲間は、病気や氷の割れ目に落ちたりして、もう一人も生きてはいない。だから、自分だけが、この峠越えの道を知っているのだ、と彼はいった。
彼は、誇り高い山人なのだろう。村では、他の村人とはほとんど離れていて、ともに談笑することもなかった。
この峠越えで、彼は、私たちの荷物を運ぶことを拒んだ。持たせようとするビリアムカーンに、彼は憤然としていった。
「ワシはジャマダール(リーダー)だ。お前たちのアタ(小麦粉・食糧)はワシが持つ。それ以外は何も持たない」
このときのことを根に持っていたのか、ビリアムカーンは、サイドモレーン上の休憩のときに、こういった。
「こんな峠越えなんぞ、簡単なもんだ。俺一人でも行ける」
「なんじゃと」やはり、彼は、かん高い声を上げて、ひらきなおった。「ワシが先導しなくて氷の割れ目を進めるというのか。よし、それならお前先頭に立て!ビリアムカーン」
ビリアムカーンは、シュンとして黙ってしまった。
間もなく、サイドモレーンはつきた。ポーターはここで泊まりだといった。4050m。
なるほど、このあたりが厳密な意味での植物限界なのだ。アブレーション・バレーの向こうの岩壁には、小さな灌木がある。ポーターたちの貴重な燃料だ。
その木を取りに、岩壁を攣じるサダップ。たくみなクライムを、サーブたちは感心して眺めている。
サドバルがいい声で歌をうたう。〈シーリンジャーナー〉、彼の十八番だ。シーリンという美少女を歌ったものだ。その一節。〈川がある。そのほとりにシーリンが立っている。少年がやって来た。彼はいう。手をお出し。手をとって渡してあげよう〉
基線測量をようやく終えると、すぐに夜がきた。
午前四時、「サーブ、サーブ」ポーターたちがテントをたたく。着のみ着のままで一夜を明かした彼らは、三時から起き出して、寒さに歯を鳴らしていたという。
早くしないと雪がゆるんで危険だ、急げ、とさんざんせかされたけれど、羽毛服を着込んだサーブたちは、紅茶を飲んで、いやにゆっくりとテントをたたんでいる。明け始めた氷河の白に、モレーンに立つポーターたちのシルエットが美しい。
六時出発。
すぐ氷河へ。ものすごく早いピッチ。私たちは必死で後を追う。トップに立つアブドラーマンは、手に細い木のツエ、足にヒツジの革を巻きつけただけのいでたちで、凍雪を踏んで行く。
突然、彼が雪にうづくまった……と見えたのは誤りで、ヒドン・クレバスに落ち込んだのだ。
やがて、朝日が雪を赤く染め始めた。
ふと気がつくと、もう氷の壁が目前に迫っている。でも、峠はどこにあるのだろう。
マナリ・アンに立つ
高度4200m地点で休憩。パドルの水を飲む。出発のとき、ポーターたちは、手を天に向けて、アラーに祈った。ごく自然に私たちもこれにならった。
急に、右手のはるか上に、岩の切れ目が現われ、峠が見えた。ハラハリ氷河はそのどんづまりで、直角に右に曲がると、急激に峠にのし上げていた。
アブドラーマンは、セラック帯の立ち並ぶ氷塔めがけて、一文字に進んだ。
それは、私たちのルートファインディングの意表をついていた。だが驚いたことに、彼の前には、常にルートが展開した。
クレバスにはスノーブリッジがあり、スノーウォールにはレッジがあった。
クモの巣のように走るクレバスをぬって、それは、まさに動物的なルートファインディングとしかいいようがなかった(しかし、この点について疑問を感じた関田が、のちほど問いただした結果、彼が数週間前にこのルートを通ったことが判明した)。
そして、ときどき、彼は手オノを振って、カッティングを行なった。
手オノのカッティング、とび散る氷片、切り出された足場にゆっくりと置かれるヒツジの革を巻きつけた足‥…・。私は、何か、失われたショウを見る気持で眺めていた。
高度にして200mほどのセラック帯を抜けると、あとは坦々とした雪の登りが続いていた。
ホッとした私たちは、ここで初めて、ゆったりとくつろぎ、ハラハリ氷河右岸の峰々を眺めた。
そのとき、「サーブ」とアブドラーマンが語りかけた。「ワシは、サーブたちに金でやとわれて案内したんじゃない」彼の声はいつものようにキンキンとはひびかず、低かった。
「あんた方はワシたちの友達になれると思ったんだ。それにサーブたちは、ウルドーが話せる。何年か前にも、よその国のサーブに頼まれて、一日五〇ルピー出すといわれたが、ワシは断った。こんな危ねえ所へ、気心の知れねえもんと来るなんて、いくら金を積まれてもゴメンだね」
私たちは、雪の白に区切られた蒼穹の底に向かってあえぎ登った。その蒼色の円弧は、いつとはなしに広がり、やがて、ポチリと突起が現われ、次々と向こうの山の頂がせり上がってきた。ラースプールの山々だった。
私たちは、知られざる峠、マナリ・アンに立って、これらの山々を見ていた。10時半だった。
この景色を眺めるのは、私たちが最初だな、とふと思ったけれど、特に感激したわけではない。
マナリ・アンは、西パキスタンの旅のエピローグであった。そして、ハラハリ村の連中との叙事詩的な交わりの中の、一つのエピソードにすぎなかった。(おわり)