その2 宗教登山の位置づけについて
登山と「神話」その二
宗教登山の位置づけについて
先号では、「スポーツ」に関係する「神話」をとりあげて述べました。これについて、ぼくにとっては予想以上の反応があり、いろいろの人から、いろいろのコメントを頂きました。
ぼくとしては、くさされても、別にしょげ返るわけではありませんが、逆にほめられると、どうも具合が悪い。もちろん、ほめられ、持ちあげられて、気分が悪いわけではありません。でも、たとえば、「次に期待する」などと、偉い人から云われると、どうもペン先がこわばってしまいそうです。
ぼくは「論文」を書いているつもりはないし、一つの「読物」と受けとってほしいのです。ただ「それはおかしい」というところがあれば、反論してもらうことが有難いわけで、たとえ、こてんぱんにやっつけられてもぼくとしては、大いに満足です。
さて、「神話」についてですが、ぼくがいう「神話」は、いわゆる「現代の神話」といわれるやつで、「政治神話」あるいは「社会的神話」という部類のものです。ヤマトタケルノミコトと直接的には関係ありません。
しかし、全く関係がないわけじゃない。むしろ大いにあるというべきかも知れません。
どうしてかというと、たとえば、『古事記』『日本書記』は、日本の歴史であるか否か、という問題をとりあげて、考えてみましょう。
これは、そのもっと後の、楠木正成にしても、家康にしてもおなじことです。要するに、何が歴史で、何が歴史でないかの判断点は、「歴史が、少数の人の歴史であっては、それは歴史ではない」ということです。
「万里の長城」は、明らかに、古代中国の人民の力によって造られたものです。しかし、学校では「秦の始皇帝」が造ったと教える。そのアイデアを考えついたのさえ、始皇帝ではなく、おそらく歴史に現われない誰かだったに違いない。つまり、書かれた歴史は、みんな大ウソということになります。それは、人民不在の歴史であるからです。
次に、「すべての歴史は、現在のことだ」といえます。これは、イタリーの哲学者のクローチェがいっていることです。
たとえば、いまいった「始皇帝」は、儒者を生きうめにして、儒教を説いた書物をもやした、とんでもない暴君だとされていました。いわゆる〈焚書坑儒〉です。ところが、中国では、最近の儒教批判が起ると、「奴隷制社会」から「封建制社会」への移行を促進した、名君ということになりました。一方、孟子などは「奴隷道徳」を説いた、けしからん奴だということになり、「孟老二」つまり「孟家の次男坊」という蔑称でよばれることになってしまいました。
また、敗戦まで日本で使っていた小学校の歴史教科書は、占領軍の命令で、まっ黒に墨をぬらされた。これをけしからんと怒っている人もいるようです。この教科書には、神代に「人民が騒いだからこれを平らげたもうた」と書いてある。墨をぬって当然で、けしからんと思う方がどうかしています。
大体、「騒いだら平らげる」という発想がけしからんわけで、騒ぐにはそれなりの理由があると考えるべきです。こういうことをいうとすぐ「かたよってる」という人がいる。事実、先号のぼくの文章をよんで、共産党、民青の思想ときめつけた人がいます。本居宣長は、マルキストでも、唯物論者でもないけれども、百姓が一揆を起す、つまり騒ぐには、それなりのよくよくの理由があるはずだ、といっています。こんなことはあったりまえの話ではないですか。
話をもとにもどして、ともかく、歴史はたえず書き直されている。それは歴史が、クローチェがいうごとく、現在であるからなのです。
ところが、古文書を並べてそれを歴史だと考える人がいる。材料を並べて、それをつないだら歴史だと考えるらしい。そういうバカみたいな歴史家や学者もいます。そんな人にとっては、歴史は不変なのでしょうが、これは全くの間違いというべきでしょう。
やたらと長い前書きになりそうです。はしょって締めくくります。
歴史つまり過去が現在に生かされると、よくいわれます。これはしかし、現在が過去によって否定されるということです。過去にやったようなことを、もう一ぺんやろうとする。ところが「すべての歴史は現在だ」というのは、まさに逆なのであって、過去のために現在が拘束されるのではなく、現在をつくるために、あるいは未来をつくるために、過去が追放されるということです。
さて、歴史において本質的なものは何なのでしょうか。たとえば、「ヤマトタケルノミコト」が実在したかどうか、それは本質的な問題ではない。現在にかかわる歴史の本質というのは、過去へ現代を引きつけるために歴史が学ばれるのではなく、現在が未来に向かうために役立つような歴史でなければなりません。
過去に動かすべからざる過去というものがあるのではなく、現在のぼくたちの必要によって、過去の〈歴史現象〉の中に、本質的なものとそうでないものとを区別しないといけない。そうすることによって始めて、本質的なものをとらえうる、とぼくは考えます。
こういう観点で、登山の歴史を見たら、どういうことになるでしょうか。これまでの登山の歴史といわれてきたものは、全く疑わしい、ということになる。そして、全然別の登山史が書かれることになるでしょう。
ぼくには、そんなものを書くだけの能力はとてもありませんので、ここでは、適当にピックアップなどしながら、進みたいと思います。一というようなわけで、今回は、「登山史の神話」ということになります。
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