アフガン難民支援レポート(8)
難民キャンプシャルマンキャンプ。
パキスタン北西辺境州のトライバルエリアにあって、アフガン国境に近く最も新しい難民キャンプです。ここを訪れ、学校のテントを見た後、次にぼくたちが訪れたのは、BASIC HEALTH CENTERです。この間、5人の警官が着かず離れず、付いてきています。
コンクリートの細長い建物で、まあ診療所というところでしょうか。
一番端が、診療室。机だけが置いてあり、その上に聴診器がぽつんと載っていました。
呼ばれて、歳若い女性のが入ってきました。多分女医さんだとおぼしき彼女は、ここの活動をこの人たちに説明しなさいといわれて、少し困った顔をして、
「私はペシャワールからやってきたばかりで、まだ4日しかたってないので…」
といいながら、部屋を順に案内してくれました。
隣の部屋は、救急室。ベッドが3つ。酸素ボンベ3本が置いてありました。手術は出来ないそうで、必要な場合はペシャワールまで送る必要があるそうです。
次の部屋は、幼児診療室で、ドクターが、訪れたブルカをかぶった女性の子供に注射をしようとしているところでした。
彼女は、両の腕に一人づつ幼児を抱き、もう一人の子供を連れていました。片手に子供を抱え、いすに座り込みながら膝の上に置いたもう一人の0歳児のズボンをドクターが苦心しながらずり下げようとし、子供は泣き叫んでいます。何か予防注射ということでした。
カメラを構えたままの秀子が、ぐっと身を乗り出し、針がその恐ろしいまでに小さい大腿部に差し込まれた瞬間をとらえました。
後で、部屋の外ですれ違ったとき、その母親は秀子に何かを言ったそうです。怒った風ではなかったというのですが、ブルカのなかの表情は分かりません。
きっと、痛がっている子供をどうして写したの、と言ったのではないかと思いました。
隣の部屋は、育児室というか育児相談室という感じです。部屋の一番奥に少し太った中年の女性が座っていました。
背後には、数枚のアラビア文字の説明入り(パシュトーン語)の図があり、一目で離乳食の作り方の図解だと知れました。
真中の梁から二本のロープが下がっており、端が輪になっています。まさに首吊り用という感じ。乳児の体重測定のばねばかりを吊り下げるためのものでした。
隅には、木製の身長測定器も置いてありました。
やってくる母親は、一日に平均80人ということです。
この棟で見た最後の部屋は薬品庫で、段ポール箱が積んであります。
薬品は足りているのかを、その部屋の管理人風に見える男性に尋ねると、「ノープロブレム」と答えました。
この後に見たのは、パン焼き場と水の貯水槽です。
ベーカリーというので、フランスパンでも焼いているのかと思ったら、ローカルなアフガニスタンレストランのような、かまどのオーブンで独特の長円形のアフガニスタン・ローティを焼いています。
少年達が、立ち働き、こねたアタを丸め、伸ばし、かまどの中におき、焼けたものを取り出していました。
1日一人宛配給される35gのアタを持参した人たちは、ここで引き換えにナン(パン)を受け取るわけです。
水道などは望むべくもないし、川もないこの地では、水をタンクローリー車で運んで来て、巨大な水タンクに貯水していました。この水の貯蔵庫には驚きました。それは、完全に布製のタンクなのでした。幅4メートル、長さ10メートルの袋状のタンクは、満タンの状態でパンパンになっていました。厚みは1メートル近くもあり、一体どれくらい入るのだろうと思ったのですが、聞きそびれてしまったのです。
多くの子供達が、われわれに群がり、ぼく達は一緒に写真を写しました。
帰路、ヒンズークッシュの山並みが一番綺麗に見える場所で、それを背に、ぼくとイムランは、並んで写真を取りました。肩に腕を回すと、彼の二の腕がまるでマイクタイソンのそれのように太いので驚いたのでした。
高田直樹
パキスタン北西辺境州のトライバルエリアにあって、アフガン国境に近く最も新しい難民キャンプです。ここを訪れ、学校のテントを見た後、次にぼくたちが訪れたのは、BASIC HEALTH CENTERです。この間、5人の警官が着かず離れず、付いてきています。
コンクリートの細長い建物で、まあ診療所というところでしょうか。
一番端が、診療室。机だけが置いてあり、その上に聴診器がぽつんと載っていました。
呼ばれて、歳若い女性のが入ってきました。多分女医さんだとおぼしき彼女は、ここの活動をこの人たちに説明しなさいといわれて、少し困った顔をして、
「私はペシャワールからやってきたばかりで、まだ4日しかたってないので…」
といいながら、部屋を順に案内してくれました。
隣の部屋は、救急室。ベッドが3つ。酸素ボンベ3本が置いてありました。手術は出来ないそうで、必要な場合はペシャワールまで送る必要があるそうです。
次の部屋は、幼児診療室で、ドクターが、訪れたブルカをかぶった女性の子供に注射をしようとしているところでした。
彼女は、両の腕に一人づつ幼児を抱き、もう一人の子供を連れていました。片手に子供を抱え、いすに座り込みながら膝の上に置いたもう一人の0歳児のズボンをドクターが苦心しながらずり下げようとし、子供は泣き叫んでいます。何か予防注射ということでした。
カメラを構えたままの秀子が、ぐっと身を乗り出し、針がその恐ろしいまでに小さい大腿部に差し込まれた瞬間をとらえました。
後で、部屋の外ですれ違ったとき、その母親は秀子に何かを言ったそうです。怒った風ではなかったというのですが、ブルカのなかの表情は分かりません。
きっと、痛がっている子供をどうして写したの、と言ったのではないかと思いました。
隣の部屋は、育児室というか育児相談室という感じです。部屋の一番奥に少し太った中年の女性が座っていました。
背後には、数枚のアラビア文字の説明入り(パシュトーン語)の図があり、一目で離乳食の作り方の図解だと知れました。
真中の梁から二本のロープが下がっており、端が輪になっています。まさに首吊り用という感じ。乳児の体重測定のばねばかりを吊り下げるためのものでした。
隅には、木製の身長測定器も置いてありました。
やってくる母親は、一日に平均80人ということです。
この棟で見た最後の部屋は薬品庫で、段ポール箱が積んであります。
薬品は足りているのかを、その部屋の管理人風に見える男性に尋ねると、「ノープロブレム」と答えました。
この後に見たのは、パン焼き場と水の貯水槽です。
ベーカリーというので、フランスパンでも焼いているのかと思ったら、ローカルなアフガニスタンレストランのような、かまどのオーブンで独特の長円形のアフガニスタン・ローティを焼いています。
少年達が、立ち働き、こねたアタを丸め、伸ばし、かまどの中におき、焼けたものを取り出していました。
1日一人宛配給される35gのアタを持参した人たちは、ここで引き換えにナン(パン)を受け取るわけです。
水道などは望むべくもないし、川もないこの地では、水をタンクローリー車で運んで来て、巨大な水タンクに貯水していました。この水の貯蔵庫には驚きました。それは、完全に布製のタンクなのでした。幅4メートル、長さ10メートルの袋状のタンクは、満タンの状態でパンパンになっていました。厚みは1メートル近くもあり、一体どれくらい入るのだろうと思ったのですが、聞きそびれてしまったのです。
多くの子供達が、われわれに群がり、ぼく達は一緒に写真を写しました。
帰路、ヒンズークッシュの山並みが一番綺麗に見える場所で、それを背に、ぼくとイムランは、並んで写真を取りました。肩に腕を回すと、彼の二の腕がまるでマイクタイソンのそれのように太いので驚いたのでした。
高田直樹
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