<< No.1「オジンのスキーツァー出発」 | main | No.3「イタリアのスキー場とイタリアンスキー」 >>

No.2「ホテル・エクセルシオール」

  我々オジンどもが投宿し丁度1週間滞在することになったホテル・エクセルシオールに付いて書きます。 まづは、ぼくがどうしてこのホテルを見つけたかです。

ホテル・エクセルシオール
 04winter2-1.jpg4年前、その時ぼくはともの別荘探しの旅に付き合って、リグリア海岸を巡っていました。この名前、同じ海岸線の続きなのに、フランスでは、コートダジュール(紺碧海岸)イタリアではリグリア海岸と呼ぶ。
 リグリア海岸での最高のリゾートは、ポルトフィーノで、ここでは日本のワンルームマンションくらいの部屋が、2〜3000万もしていました。 とても値が合いません。海岸沿いの主要な街をフランス国境に向けて西に順に移動しながら不動産屋を回る日々を続けていました。 海岸線沿いは駄目だと思ったぼくは、日本にいる時から考えていたように山手に移動することを考えました。
 道路地図を眺めると、リグリア州の山手にはこれと言う場所がなく、北側のピエモンテ州になります。 リグリア海岸から北上する山道のルートがあり、このルートは一旦フランス領に入ってから山を越してピエモンテ州に入ります。 そこにある小さな街、Limone Piemonteという地名が目にとまりました。 フランスと繋がる細い山道、ここはきっと何かいい所ではないか、という気がしました。そこでインターネットで宿を探した訳です。

 4つ星ホテルのエクセルシオールがヒットしてきました。予約のメールを出すと、Beppeさんと言う人が返事をくれました。この人が、後にぼくの定宿になるこのホテルの支配人のベッペさんでした。
 その頃ぼくは、ここが知る人ぞ知るスキーリゾートであることを知りませんでした。ベッペさんが冬の積雪を聞いたぼくに、アルバムを持って来て見せてくれました。 見たことのある顔だな、と思って良く見ると、なんとそれは、あの伝説のスキーレーサー、ステンマルクでした。
 ぼくはかつて、ステンマルクに憧れ、スキー板はエラン、ビンディングはマーカーとステンマルクと同じスキー用具で身を固めていたこともあったのです。 ステンマルクが定宿とするほど、ここがいいスキー場であったことは、大いに驚きでした。

 ベンチミーリアから、北上してゆくと、驚くべき割れ谷の道とはいえ、予想したよりはるかにいい道がぼくを仏伊国境のトンネルに導いたのでした。トンネルを抜けて、15分ほど走り下った所がリモーネでした。 リモーネ・ピエモンテの街は、かつてぼくが40日間滞在したパベルのお父さんの別荘があるスイスのクラン・モンタナを思い出させ、ここが高級リゾートであると知れたのです。   
 そうした場所では、地の人が大変親切でフレンドリーなのが特徴です。この辺がいいぞという気がしたのです。

部屋の台所
 04winter2-2.jpgホテル・エクセルシオールは、ここでは唯一の4スターホテルです。 20世紀のはじめ、モナコ王子が夏の別荘として建造し、その後次第に常連客対象の長期滞在型のホテルへと変わって来たという話です。 普通のホテルとは、大いに趣が異なっていて、特に台所が完備していることは驚くばかり、調理器具や食器類はほぼ完全で、一般家庭と変わらないといえます。どの部屋にも4〜6人が食事出来る大きさのテーブルがあります。 ちょっと意外なのは、バスタブがなくシャワー室のみのことです。

 イタリアンアルプスの山懐のこの街は、8時頃にようやく明るく夜が明けた感じになります。
 リフトは9時から動きだし4時頃に終わります。 街の店は、8時か9時半頃に開きますが、お昼でみんな閉まります。開いているのはバール(イタリアのバー。お酒だけではなくエスプレッソも軽食もある)くらいのものです。3〜4時間のお昼休みが済んで、再び開くのは4時か4時半で、最後は7時半頃に閉まります。
 月曜日の開店は、みんなおしなべてお昼かお昼過ぎ。どうしてかというと日曜日に遊び過ぎてしんどいからなのだそうです。これは、スイスでもおんなじでした。日本人は働き過ぎてはいないかという気がしてきます。

Comments

Comment Form

Remember Me?

Trackbacks