23.教師はみんな特高かな
♣
ひところ、子供の自殺が相次いで起り、新聞誌上を賑わわしたことがありました。この頃では、あんまり多くないようで、あれはやっぱり、一時的な流行だったのかなと思う。
あの頃、自殺を防ごう、ということで、自殺防止のキャンペーンがありました。それによれば、自殺の前には、必ずサインがあるというか、前ぶれが現われる。たとえば、急に無口になるとか、死について興味をもって、それに関した本を読みだす……とか。だから、それらを素早くキャッチして、自殺を防ごう、というんです。
なんだか、けったいな気分でした。だって本人が、死にたいと本当に思っているのなら、どんなことをしてでも死ぬでしょう。問題は、なぜ生きる望みをなくしたのか、ということであるはずで、どうして止めようか、ではないように思ったんです。
その頃、中学生だった娘が、新聞を見ながら、突然、「私が自殺したらどうする」ときいたものです。
「どうするて、死んだらしまいやがな」
と、ぼくは素っとぼけて答えました。
「もし死んだら、どう思う」
と、おっかぶせて娘はきき、ぼくは、なお、
「どう思うかなあ。そんなこと考えたこともないし、まあその時にならんと分らんな。お前死にたい思とんのか。もし死のう思ってたら、止めようもないがな」
と、ぼくは、わざと素気なく答えていました。すると娘は、憤然として、あきれたように、
「それでも親か」
といったものでした。
彼女が、小学生だった頃、ぼくは、高校生の女の子二人と娘・息子の四人を連れて、信州ヘスキーに行ったことがありました。みんなで滑っているうちに、娘の姿が見当らなくなったのです。いくら周りを見回しても、どこにもいません。もしかしたら、もう滑るのがいやになっいて宿に帰ったのかも知れない。確かめるために、宿まで見に戻ろうか、と一瞬考えました。でも、よし宿に帰っていたら、それはそれで、もう安全です。小学校三年にもなっているのに、どうして勝手に帰ったのか、となじるのも変な具合だという気もしました。もし帰っていなかったら、ぼくは余計にイライラし、見つけた時にどなりつけることになるだろう。どっちにしても面白くない。
こんなことを、素早く考え、かなり心配だったけど、ほっとこうと決めたんです。ものの20分もしないうちに、ゲレンデで一人楽しそうに滑っている娘を、ぼくは見出していたのです。
去年のこと、家族で、やはりスキーにいった時、一番下の五歳の娘を、彼女はそり滑り専門でスキーができないので、ゲレンデのレストハウスに待たして、みんなで滑っていました。突然アナウンスがあり、
「タカダさん、お子達が迷子になっておられます、至急レストハウスにお戻り下さい」
いったい何事かと、ぶっとばして、レストハウスに戻ったら、娘は一人ポツンとストーブにあたっておりました。「おねえちゃんが三人、話しかけてきて、名前をきいた」というのです。
多分、一人置いとかれて、淋しくてベソでもかいていたのでしょう。それにしても、何とおせっかいな奴がいるもんだ。ぼくは頭にきて、娘に、
「お前が、ベソかいてるから間違われるんじゃ。バカモン」
と、どなりつけたのです。
♣♣
この頃では、自殺にかわって、校内暴力や家庭内暴力や非行や暴走族などが大流行のようです。
校内暴力というのは、どうやら中学の専売特許で、高校にはあんまりないみたい。ただ高校にも家庭内暴力はあるらしい。教室で、そうした話をすると、身に憶えがあるという感じの反応を示す生徒が多いのです。ぼくは、話のついでに、「親かて信用できへんぞ。晩ねていて、気がついたら首にひもが巻きついてるかも知れんぞ。そうされるような仕打ちはしてへんか」などとおどかしたりします。生徒はみんなショックで、少々考え込んでしまうようです。
それから、いわゆる非行や暴走族というのも、ごくありふれた出来ごとのようです。
それにしても〈非行〉ということばには、どうも少なからずある抵抗を感じてしまいます。〈非行少年〉は、いつかの時代の〈非国民〉に似て、中味の吟味はそっちのけの、レッテルのはりつけという気がしてしまうのです。そうすると、教師はみんな特高かな。まあ、ぼくは、そういう時代は、話でしか知らないのですが……。
「いいことはいい悪いことは悪いと云おう」などと叫ぶ教師がいる。なにをいうとるんか、という気がします。きまっとるやないか、そんなこと。問題は、いいか悪いか分らん部分なんです。明確に分る部分について、これまで知らんふりしていたとしたら、それは論外。分らん部分までをも、勝手にどっちかに決めて、それを押しつけて強要したら、それは権力的な強制でしかないのではなかろうか。そんな気がします。
ここに、〈高校生の意識調査〉というデータがあります。一九六九年の暮の朝日新聞にのったもので、平均的都立高校を対象に、回答回収総数七九二、五九問のアンケートによる調査です。それによれば、
教師に多いタイプ———表面だけとりつくろう偽善者。月給めあてだけのサラリーマン。規則ばかり押しつける役人根性。一方、生徒が教師に求めているのは信念で、うわべをとりつくろわない生の人間性といったものである、となっています。
六九年といえば、いまから十二年前、ひと昔以上も前なのですが、生徒が見た教師の姿は今もあんまり変らんのではないか、という気がします。いや、まだ、あの頃は、生徒は、それなりに真剣に教師を見つめ、批判した。そこには、まだ希望があったのかも知れません。だから彼等は、教師にある信頼をもって学園紛争を起こしたのかも知れない。ぼくにはそう思えます。ところがいまや、もうそんなもんではない。
教師は教師。うまい具合に立回り、睨まれんように……。腹立ててもしやあない。むかつくだけ、勉強の防げになるし……。それにしても、つっぱってるワルの連中は、アホや。あれはなんにも得にならんのに。けど、気持はよう分る。
教師と生徒の距離はもう宇宙的にひらいてしまったのかも知れません。
♣♣♣
教室で、四十数人の生徒を前にして、ぼくは教壇に立っています。小さな空間に、それらはぎっしりと詰め込まれた感じで、四十数個の顔が、二次元的に拡がっており、みんな無表情で、なんだか仮面の配列の様です。
その時、教師の顔も、ただ無意味に、パクパクと口を開け閉めする奇妙な仮面——生徒の眼には、きっとそう映っているのでしょう。
一つの教室空間に配列された生徒には、共通点といえば、もしかしたら、生活年齢が同じである、という一つことしかない。そういえるかも知れません。みんながみんな親がちがう。家もちがう。家の職業もちがう。育ちがちがう。家の喰い物の好みもちがう。
一つ一つの顔の後には、それらを生みだした一組の男女があり、その後にはまたその男女を生みだした二組のしわくちゃの男女がいて、その後にはまた……。そして、それらはみんなみんな、異なった顔で、異なった生い立ちと生活史をもっていて……。
そうした妄想みたいなものが一瞬、ぼくの頭に拡がると、教室はモザイクみたいに顔でうずまってしまい、ぼくはただ呆然と立ちすくんでしまいます。時として、そういうことがあるのです。
考えてみるまでもなく、生徒一人ひとりはみんなちがう。ことさらにいうまでもなく、そんなことは誰でも分っているはずです。ただ学校というととろは、そんな認識やたて前とは無関係に、生徒という名の画一化されたものを対象に組立てられたシステムであるかのようです。
生徒の画一化が問題だとなげきながら、教師達は、その問題を解決するために、自からの集団を画一化しようとしたりする。なんともけったいな話です。
もともと、日本の大衆教育制度は、富国強兵を目標に、軍隊の部品としての兵卒を作るために組立てられた。敗戦後の民主主義教育で、戦前の教育理念は完全に否定はされたものの、富国強兵にとってかわった高度成長のかけ声のもと、学校は産業兵士の生産工場であったのではないだろうか。
そのなかで、教師は、個性の尊重という空念仏を唱えながら、生徒ともども、ただひたすら、画一化してきたといえなくもない。
♣♣♣♣
どこの国でも、どの時代であっても、もともと若者は不安定で激しやすく暴力的なものだと思うのです。
ぼく自身だって、少々身に憶えもあります。ただ昔は、いまみたいに、すぐ新聞種になったり、警察が入ってきたり、というようなことはなかったのですが……。
だから、「あれは、いつかの学園紛争が、もっと若い層に移行したようなもんだ」という見解も一理あるという気もします。また、若者は暴力的なもので、そうした時期を通過して大人になるのだから、[まあ、いってみればはしかみたいなもんだ。伝染性もあるし……」などといわれると、なるほど、とも思います。
たしかに、いまの世の中、若者には極めて住みずらい状況になっているようです。目本はいまや大国、大人の、いや老年の国で、暴力に対する許容度が全くない。もしかりに、いまの時代に信長がいたとしたら、大犯罪人になっていたでしょうし、勤王の志士たちはみんな少年院送り、なんてことになったかも知れません。
だいたいいまの世の中、若者だけに限らず、みんな住みずらく息苦しいのかも知れません。まあ、すこし前は、その息苦しさの原因を見極めたら、それをどうにかできそうな気がした。ところがいまや、だいたいあんまりよく見極めがつかないし、なんやらよく分らない。分ったところでどうにもならんという気がしてしまう。ええいとばかり、いちばん手近なところに衝動的につき当り発散するという世の中みたい。
とすれば、校内暴力も、社会状況の反映ということになるのかしらん。
いまぼくの高校も平穏の限りだけれど、ひと昔前には、けっこう校内暴力みたいなこともありました。あんまりなぐられそうにもなかったけれど、オヤジや上級生に、散々なぐられたり、けんかしたりした経験のあるぼくは、なぐられたかて死なへんし、と思っていました。生徒だって、セクトの内ゲバじゃあるまいし、殺す気など全くないはずです。
先頃の新聞で、英国の教員組合が、生徒による傷害に備えて、全員保険に加入したということを知って、さすがだなあ、と変なところで感心してしまいました。
これからも分るように、校内暴力というようなものは、日本だけに限らず、先進国といわれる国に共通ですし、非行は中国でも問題になっている。
社会のひずみは、いちばん純な弱い部分に病理的に表われるのかも知れません。そうだとしても、この病める文明諸国を一気に治療するなんてことは、ちょっと誰にもできそうにありません。それこそ、カール・セーガンさんじゃないけれど、そうした危機を切りぬけた他の銀河系の宇宙人にでも聞いてみないと分るもんじゃないようです。
学者からオバチャンまで、みんな一家言あり、いろいろとおっしゃる。そのどれも正しいという気はします。しかし、それでどうなるもんでもない、という気もする。
♣♣♣♣♣
いまや世の中、教育教育と大変なさわぎ。新聞・テレビ、週刊誌と、アスコミあげてなんだかブームの感じさえします。まあ、それだからこそ、ぼくなんぞが、新聞に、教育論を書かされるような破目にもなったのでしょうが……。
でも考えてみれば、教育は、戦後ずっと、問題とされてきたように思うんです。日本国が、保守・革新と二大陣営に分れて対立抗争するなかで、教育は、その陣取合戦のフィールドであったのかも知れません。これは当然のことであって、次の時代を担う若者を育てるのが教育なのですから、両陣営は、自分達のイメージする人間を造ろうとして、教育で争った。教育を制するものは日本を制する、と云われたのかどうか知りませんが、とにかく、そんな風だった。そうした状況がつづくうちに、教育の荒廃が叫ばれだします。これは、政治が教育を政争の具にした当然の報いだ、という人もいました。もう十年以上も前の話です。
その頃の状況から考えれば、今の様子は、もう荒廃なんてもんではない。無いのです。教育なんて何にもない。そんな気がしてきます。
管理は教育ではないし、犬に芸を仕込むような訓練も教育とははづれる。
こういう状況になったのは、でも、教師が好んでそうした訳では決してないし、親が放任したからでもないのではないか。教師が総ざんげして良くなる問題ではないし、『父よ母よ』と呼びかけて解決する訳でもない。「人の子も叱ろう」とスローガンをかかげても、基本的には大して変らない。
誰が悪いというものではなく、こういう方向に、どうしようもなく時代が動いてきてしまったというべきなのでしょう。何かが悪いとしたら、旧い状況で出来たシステムをそのまま守っているのが悪いのかも知れません。
高校の頃、漢文で「性善説」「性悪説」を習いました。ぼくには「性善説」のほうがピンときたようで、〈孺子(ジュシ)のまさに井(セイ)に入らんとするを見れば、人みな怵惕惻隠(ジュッテキソクイン)の心あり〉なんていうのは、いまでも憶えています。(注:子供が井戸に落ちたら、誰でも驚き慌て可哀想だと思うというのが、この漢文の意で、「性善説」はここから始まる)
ところで、教師はみんな性は善なる人ばかりなんでしょうが、いまや、「性善説」を信じる教師はあたかもいないみたいです。管理と処罰がシステムとして強化されてくると、処罰の平等が問題となって、主義主張を別にして生徒を疑ってかからざるを得なくなる。夜更けの路上では、少年補導員の町内会のオジサンが、大学生をとっつかまえて、警官の職務質問みたいなことをやり、「ウソつけ、高校生やろ」などとやりだす。
教育というのは、騙されるのを承知したうえで、許容はせずに受容し、相手を信ずるというところにしか成立しないのではないかと、ぼくにはそう思えるのです。
いま、人みなイライラし、世の中の仕組みはとてつもなく複雑で、そうであるが故に、人は単純明快なものにあこがれ、また単純に反応しようとするかのようです。
やがていつの日か、学校は、今からは想像もつかない位、変るかも知れません。そして、その時、社会のシステムもやっぱり、今とはちがったものになっているでしょう。
ひところ、子供の自殺が相次いで起り、新聞誌上を賑わわしたことがありました。この頃では、あんまり多くないようで、あれはやっぱり、一時的な流行だったのかなと思う。
あの頃、自殺を防ごう、ということで、自殺防止のキャンペーンがありました。それによれば、自殺の前には、必ずサインがあるというか、前ぶれが現われる。たとえば、急に無口になるとか、死について興味をもって、それに関した本を読みだす……とか。だから、それらを素早くキャッチして、自殺を防ごう、というんです。
なんだか、けったいな気分でした。だって本人が、死にたいと本当に思っているのなら、どんなことをしてでも死ぬでしょう。問題は、なぜ生きる望みをなくしたのか、ということであるはずで、どうして止めようか、ではないように思ったんです。
その頃、中学生だった娘が、新聞を見ながら、突然、「私が自殺したらどうする」ときいたものです。
「どうするて、死んだらしまいやがな」
と、ぼくは素っとぼけて答えました。
「もし死んだら、どう思う」
と、おっかぶせて娘はきき、ぼくは、なお、
「どう思うかなあ。そんなこと考えたこともないし、まあその時にならんと分らんな。お前死にたい思とんのか。もし死のう思ってたら、止めようもないがな」
と、ぼくは、わざと素気なく答えていました。すると娘は、憤然として、あきれたように、
「それでも親か」
といったものでした。
彼女が、小学生だった頃、ぼくは、高校生の女の子二人と娘・息子の四人を連れて、信州ヘスキーに行ったことがありました。みんなで滑っているうちに、娘の姿が見当らなくなったのです。いくら周りを見回しても、どこにもいません。もしかしたら、もう滑るのがいやになっいて宿に帰ったのかも知れない。確かめるために、宿まで見に戻ろうか、と一瞬考えました。でも、よし宿に帰っていたら、それはそれで、もう安全です。小学校三年にもなっているのに、どうして勝手に帰ったのか、となじるのも変な具合だという気もしました。もし帰っていなかったら、ぼくは余計にイライラし、見つけた時にどなりつけることになるだろう。どっちにしても面白くない。
こんなことを、素早く考え、かなり心配だったけど、ほっとこうと決めたんです。ものの20分もしないうちに、ゲレンデで一人楽しそうに滑っている娘を、ぼくは見出していたのです。
去年のこと、家族で、やはりスキーにいった時、一番下の五歳の娘を、彼女はそり滑り専門でスキーができないので、ゲレンデのレストハウスに待たして、みんなで滑っていました。突然アナウンスがあり、
「タカダさん、お子達が迷子になっておられます、至急レストハウスにお戻り下さい」
いったい何事かと、ぶっとばして、レストハウスに戻ったら、娘は一人ポツンとストーブにあたっておりました。「おねえちゃんが三人、話しかけてきて、名前をきいた」というのです。
多分、一人置いとかれて、淋しくてベソでもかいていたのでしょう。それにしても、何とおせっかいな奴がいるもんだ。ぼくは頭にきて、娘に、
「お前が、ベソかいてるから間違われるんじゃ。バカモン」
と、どなりつけたのです。
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この頃では、自殺にかわって、校内暴力や家庭内暴力や非行や暴走族などが大流行のようです。
校内暴力というのは、どうやら中学の専売特許で、高校にはあんまりないみたい。ただ高校にも家庭内暴力はあるらしい。教室で、そうした話をすると、身に憶えがあるという感じの反応を示す生徒が多いのです。ぼくは、話のついでに、「親かて信用できへんぞ。晩ねていて、気がついたら首にひもが巻きついてるかも知れんぞ。そうされるような仕打ちはしてへんか」などとおどかしたりします。生徒はみんなショックで、少々考え込んでしまうようです。
それから、いわゆる非行や暴走族というのも、ごくありふれた出来ごとのようです。
それにしても〈非行〉ということばには、どうも少なからずある抵抗を感じてしまいます。〈非行少年〉は、いつかの時代の〈非国民〉に似て、中味の吟味はそっちのけの、レッテルのはりつけという気がしてしまうのです。そうすると、教師はみんな特高かな。まあ、ぼくは、そういう時代は、話でしか知らないのですが……。
「いいことはいい悪いことは悪いと云おう」などと叫ぶ教師がいる。なにをいうとるんか、という気がします。きまっとるやないか、そんなこと。問題は、いいか悪いか分らん部分なんです。明確に分る部分について、これまで知らんふりしていたとしたら、それは論外。分らん部分までをも、勝手にどっちかに決めて、それを押しつけて強要したら、それは権力的な強制でしかないのではなかろうか。そんな気がします。
ここに、〈高校生の意識調査〉というデータがあります。一九六九年の暮の朝日新聞にのったもので、平均的都立高校を対象に、回答回収総数七九二、五九問のアンケートによる調査です。それによれば、
教師に多いタイプ———表面だけとりつくろう偽善者。月給めあてだけのサラリーマン。規則ばかり押しつける役人根性。一方、生徒が教師に求めているのは信念で、うわべをとりつくろわない生の人間性といったものである、となっています。
六九年といえば、いまから十二年前、ひと昔以上も前なのですが、生徒が見た教師の姿は今もあんまり変らんのではないか、という気がします。いや、まだ、あの頃は、生徒は、それなりに真剣に教師を見つめ、批判した。そこには、まだ希望があったのかも知れません。だから彼等は、教師にある信頼をもって学園紛争を起こしたのかも知れない。ぼくにはそう思えます。ところがいまや、もうそんなもんではない。
教師は教師。うまい具合に立回り、睨まれんように……。腹立ててもしやあない。むかつくだけ、勉強の防げになるし……。それにしても、つっぱってるワルの連中は、アホや。あれはなんにも得にならんのに。けど、気持はよう分る。
教師と生徒の距離はもう宇宙的にひらいてしまったのかも知れません。
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教室で、四十数人の生徒を前にして、ぼくは教壇に立っています。小さな空間に、それらはぎっしりと詰め込まれた感じで、四十数個の顔が、二次元的に拡がっており、みんな無表情で、なんだか仮面の配列の様です。
その時、教師の顔も、ただ無意味に、パクパクと口を開け閉めする奇妙な仮面——生徒の眼には、きっとそう映っているのでしょう。
一つの教室空間に配列された生徒には、共通点といえば、もしかしたら、生活年齢が同じである、という一つことしかない。そういえるかも知れません。みんながみんな親がちがう。家もちがう。家の職業もちがう。育ちがちがう。家の喰い物の好みもちがう。
一つ一つの顔の後には、それらを生みだした一組の男女があり、その後にはまたその男女を生みだした二組のしわくちゃの男女がいて、その後にはまた……。そして、それらはみんなみんな、異なった顔で、異なった生い立ちと生活史をもっていて……。
そうした妄想みたいなものが一瞬、ぼくの頭に拡がると、教室はモザイクみたいに顔でうずまってしまい、ぼくはただ呆然と立ちすくんでしまいます。時として、そういうことがあるのです。
考えてみるまでもなく、生徒一人ひとりはみんなちがう。ことさらにいうまでもなく、そんなことは誰でも分っているはずです。ただ学校というととろは、そんな認識やたて前とは無関係に、生徒という名の画一化されたものを対象に組立てられたシステムであるかのようです。
生徒の画一化が問題だとなげきながら、教師達は、その問題を解決するために、自からの集団を画一化しようとしたりする。なんともけったいな話です。
もともと、日本の大衆教育制度は、富国強兵を目標に、軍隊の部品としての兵卒を作るために組立てられた。敗戦後の民主主義教育で、戦前の教育理念は完全に否定はされたものの、富国強兵にとってかわった高度成長のかけ声のもと、学校は産業兵士の生産工場であったのではないだろうか。
そのなかで、教師は、個性の尊重という空念仏を唱えながら、生徒ともども、ただひたすら、画一化してきたといえなくもない。
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どこの国でも、どの時代であっても、もともと若者は不安定で激しやすく暴力的なものだと思うのです。
ぼく自身だって、少々身に憶えもあります。ただ昔は、いまみたいに、すぐ新聞種になったり、警察が入ってきたり、というようなことはなかったのですが……。
だから、「あれは、いつかの学園紛争が、もっと若い層に移行したようなもんだ」という見解も一理あるという気もします。また、若者は暴力的なもので、そうした時期を通過して大人になるのだから、[まあ、いってみればはしかみたいなもんだ。伝染性もあるし……」などといわれると、なるほど、とも思います。
たしかに、いまの世の中、若者には極めて住みずらい状況になっているようです。目本はいまや大国、大人の、いや老年の国で、暴力に対する許容度が全くない。もしかりに、いまの時代に信長がいたとしたら、大犯罪人になっていたでしょうし、勤王の志士たちはみんな少年院送り、なんてことになったかも知れません。
だいたいいまの世の中、若者だけに限らず、みんな住みずらく息苦しいのかも知れません。まあ、すこし前は、その息苦しさの原因を見極めたら、それをどうにかできそうな気がした。ところがいまや、だいたいあんまりよく見極めがつかないし、なんやらよく分らない。分ったところでどうにもならんという気がしてしまう。ええいとばかり、いちばん手近なところに衝動的につき当り発散するという世の中みたい。
とすれば、校内暴力も、社会状況の反映ということになるのかしらん。
いまぼくの高校も平穏の限りだけれど、ひと昔前には、けっこう校内暴力みたいなこともありました。あんまりなぐられそうにもなかったけれど、オヤジや上級生に、散々なぐられたり、けんかしたりした経験のあるぼくは、なぐられたかて死なへんし、と思っていました。生徒だって、セクトの内ゲバじゃあるまいし、殺す気など全くないはずです。
先頃の新聞で、英国の教員組合が、生徒による傷害に備えて、全員保険に加入したということを知って、さすがだなあ、と変なところで感心してしまいました。
これからも分るように、校内暴力というようなものは、日本だけに限らず、先進国といわれる国に共通ですし、非行は中国でも問題になっている。
社会のひずみは、いちばん純な弱い部分に病理的に表われるのかも知れません。そうだとしても、この病める文明諸国を一気に治療するなんてことは、ちょっと誰にもできそうにありません。それこそ、カール・セーガンさんじゃないけれど、そうした危機を切りぬけた他の銀河系の宇宙人にでも聞いてみないと分るもんじゃないようです。
学者からオバチャンまで、みんな一家言あり、いろいろとおっしゃる。そのどれも正しいという気はします。しかし、それでどうなるもんでもない、という気もする。
♣♣♣♣♣
いまや世の中、教育教育と大変なさわぎ。新聞・テレビ、週刊誌と、アスコミあげてなんだかブームの感じさえします。まあ、それだからこそ、ぼくなんぞが、新聞に、教育論を書かされるような破目にもなったのでしょうが……。
でも考えてみれば、教育は、戦後ずっと、問題とされてきたように思うんです。日本国が、保守・革新と二大陣営に分れて対立抗争するなかで、教育は、その陣取合戦のフィールドであったのかも知れません。これは当然のことであって、次の時代を担う若者を育てるのが教育なのですから、両陣営は、自分達のイメージする人間を造ろうとして、教育で争った。教育を制するものは日本を制する、と云われたのかどうか知りませんが、とにかく、そんな風だった。そうした状況がつづくうちに、教育の荒廃が叫ばれだします。これは、政治が教育を政争の具にした当然の報いだ、という人もいました。もう十年以上も前の話です。
その頃の状況から考えれば、今の様子は、もう荒廃なんてもんではない。無いのです。教育なんて何にもない。そんな気がしてきます。
管理は教育ではないし、犬に芸を仕込むような訓練も教育とははづれる。
こういう状況になったのは、でも、教師が好んでそうした訳では決してないし、親が放任したからでもないのではないか。教師が総ざんげして良くなる問題ではないし、『父よ母よ』と呼びかけて解決する訳でもない。「人の子も叱ろう」とスローガンをかかげても、基本的には大して変らない。
誰が悪いというものではなく、こういう方向に、どうしようもなく時代が動いてきてしまったというべきなのでしょう。何かが悪いとしたら、旧い状況で出来たシステムをそのまま守っているのが悪いのかも知れません。
高校の頃、漢文で「性善説」「性悪説」を習いました。ぼくには「性善説」のほうがピンときたようで、〈孺子(ジュシ)のまさに井(セイ)に入らんとするを見れば、人みな怵惕惻隠(ジュッテキソクイン)の心あり〉なんていうのは、いまでも憶えています。(注:子供が井戸に落ちたら、誰でも驚き慌て可哀想だと思うというのが、この漢文の意で、「性善説」はここから始まる)
ところで、教師はみんな性は善なる人ばかりなんでしょうが、いまや、「性善説」を信じる教師はあたかもいないみたいです。管理と処罰がシステムとして強化されてくると、処罰の平等が問題となって、主義主張を別にして生徒を疑ってかからざるを得なくなる。夜更けの路上では、少年補導員の町内会のオジサンが、大学生をとっつかまえて、警官の職務質問みたいなことをやり、「ウソつけ、高校生やろ」などとやりだす。
教育というのは、騙されるのを承知したうえで、許容はせずに受容し、相手を信ずるというところにしか成立しないのではないかと、ぼくにはそう思えるのです。
いま、人みなイライラし、世の中の仕組みはとてつもなく複雑で、そうであるが故に、人は単純明快なものにあこがれ、また単純に反応しようとするかのようです。
やがていつの日か、学校は、今からは想像もつかない位、変るかも知れません。そして、その時、社会のシステムもやっぱり、今とはちがったものになっているでしょう。
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