ラホールの蒼い月(1970)
遠い回教徒の国の月はしっとりとうるんでいた。
そしてイシャッドは「ダラット、ダラットホーギー・・・・・・!」とささやいた。
ラホールの蒼い月
″ファーシト・クラース!″
ラホールの空に月がのぼった。まあるいおぼろ月だ。しかし、日本のそれとは色がまるでちがう、蒼白く澄んだベールをかぶった砂漠の月だ。
同室のジョニー君と相談して、今夜は別行動をとることにする。そして、このツインの部屋は先に帰ってきた方に利用権があるという申し合わせをした。
十時を少しまわっている。ちょっと遅すぎるかもしれないが、アブレた上物を買いたたけるという利点がある。エアコンのきいた部屋から出ると、四十度の暑さが足からはいのぼってくる。ホテルの前で客待ちのモーリスのタクシーに乗り込んだ。
「旦那、どちらへ」
パキスタン英語ではない。変にインテリ臭い運チャンだ。眼鏡などかけている。
「アッチーラルケー・マグターフーン(いい女どもが欲しいんだ)サブセ・アッチーラルキーハイ?(うんといい女はいるかい)」
こっちはウルド一語でベラベラしゃべる。お上りさんに見られると、とんでもない目にあうことうけあいである。運チャンは「ボホットヘー(沢山いるよ)」ときた。
「旦都、どこの国の女がいいのか。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、パキスタン。旦那の望み通りだよ」
「俺はパキスタン女だ。アメリカやヨーロッパの女にはもうあきた。奴等は気位ばかり高くていかん。やはりパキスタン女が最高だよ」
「アッチャアー(へえー)」
と運チャン。私のセリフは彼のプライドとナショナリズムをくすぐったらしい。ここぞと笑顔を作って値を聞くと、いい娘ならオールナイトで五百ルピーが相場だという。これは高い。なにせ私のポケットには二百ルピーしかない。だいたい持金が多いと強気で値切れないものだ。それでこれだけしか持ってこなかったのだ。
ところで今どこを走っているんだろう。マール・ロードを左に折れたのは分ったが、それからがおかしくなった。メーターは五ルピーを示している。
まもなく車は、裸電球がずらりとぶら下り道の両側に露店が並んだバザール(市場)を抜けたところで止まる。運チャンは小声でしばらく待つようにいうと、どこかへ姿を消した。バザールの食いもの屋のラジオがボリュームいっぱいに歌謡曲をがなりたてている。
運チャンが連れてきた五十がらみの親父を助手席に乗せると、車は再び夜道を走り出した。一体どこへ行くのだろうと多少不安ではあるが、聞いたとしても分ろうはずがない。どうせ行先はあなたまかせだ。
シートの背にもたれて目を閉じる。身体がけだるいのは、ホテルを出るまえにひっかけたスコッチのせいらしい。それにしてもどこまで走るのだろう。メーターは十二ルピー五十パイサを示している。
「おい、まだか!」
「もうすぐだよ、サーブ」とガイドの親父が大きくふりむいた。痩せたポパイみたいな顔をしている。曲者らしい。
「本当にいい女がいるのかい」
「最高の女だよ。第一級だよ」彼はしきりに″ファーシト・クラース!″と声をはり上げてくり返した。
「だが値もはるよ。千ルピーだ。嫌なら止めてもいいんだよ、サーブ。別の安いところを捜してもいいからね。でも、遅いから無理だろうね」
私は平然として言ってやった。
「そうか、俺は二百ルピーしか無いんでね。残念だが、ホテルへ帰るとするか。お前には一ルピーのボクシス(チップのこと)をやろう」
「分ったよ、サーブ。五百ルピーにしますよ」
あっさり半額になる。
「ナヒーン。ドゥ・ソウ(いや、二百だ)」
最高はカシミ−ルガール
いい争っているうちに目的地についたようだ。ラホール近郊の住宅街といった場所らしい。運チャンを車に残し、ポパイの後について細い露路に入る。蒼白くうるんだ月は大分傾いた。うす暗い道を足元に気をつけながら続いて行く。二曲りしてからポパイ親父は土塀のくぐり戸の中へ消えた。かわりに若い男が現れ、いやにひっそりした声で「アイエ、アイエ(お入り、お入り)」と私を呼んだ。
「サラーム・アライクム(こんばんは)」と答えたものの、一瞬身体がひきしまるような恐怖が私をとらえた。ふと、襲われるかもしれないと思ったからだ。
中庭は暗くてよく見えないが、木製のベッドが二つ置いてある三坪ぐらいの客部屋に入る。壁の色はグリーン、ベットのわきにソファーとテーブル。普通のプライベート・ハウスだ。
パキスタンの娼家はバブリック・プレースと呼ばれる公娼と、プライベート・ハウスと呼ぶ私娼とに分かれる。パブリック・プレースは″ショートがおみやげ付きで一ルピー″などといわれ、安い。しかし、女は見ただけで鳥肌がたつような代物で、両肩がすれるほど狭い露地をドブの悪臭をこらえて通ると、
「カムイン、カムイン」と声がかかる。まあ見るだけにした方がよい。
一方、プライベート・ハウスは主に外人用で、高級に属する住宅街にあったり、普通の一般家庭にあったりする。ショートで五十ルピーぐらい。大きなものでは十数人の女がいる所もある。ボスと用人棒(必ずといっていいほど大男)二人ぐらいがいる。そこでは普通次のようにして女を選ぶのがこつだ。
まず二、三人、時には五人ぐらいの女が現われてずらりと長椅子に並ぶ。ドラヴィダ系の色が黒く小柄な女ばかりで、まずこれといったのはいないはずだ。一応見渡してから無言で立ち上り、戸口に向かう。必ずボスがサ−ブ(旦那)と呼び止める。このへんがこつたるところで、あまり物欲しそうな顔と目付きをしてはいけない。たとえ息子がいらだっていてもだ。
ボスが顎をしゃくると、女たちはさっと別室へ退き、かわって数人が現われる。今度はかなりのセンのはずだ。ここで値段を聞いてもよいが、念のため「ドゥスラ・ナヒーン?(ほかにいないのか)」と聞くべきだ。大低これで終りだが、時としてアッと驚くほどの上玉が一人で現われることがある。とっておきなのである。例えばカシミールガール。パキスタンでは美人の代名詞のごとく使われ、体格よく、色白で目もとパッチリ、面長で下ぶくれのした本当に世界に類のない美しさだ。これが現われたらサイフの軽くなるのは覚悟しなければならない。
ハッとする女が……
さて、ここはどうかというと普通の家だしそんなに沢山の女がいるとも思えない。聞くと一人だけだという。少々面喰った。どうせ大したことはあるまい。見るだけで帰るとするか。見料(見るだけでも少々の金をとられることもある)はいくらぐらいだろう。なあに、一ルピーも払ってやらないぞ。
若い男とポパイが話しあっている。
「このサーブは二百ルピーにしろといっている」「そんな無茶な、五百ルピーだ」
この家に入った時からの緊張がとけると、暑さがグワーンと身体をせめたて、汗が一気に吹き出してきた。ハンカチを取り出しながら若い男を観察すると、なんとこの男、アンソニー・パーキンスそっくりだ。しかし、この国にはウィリアム・ホールデンそっくりの靴みがきなどざらにいるから、別に驚くにあたらない。このアンソニー君と交渉した結果、三百まで下ったが、どうしてもそれ以下にはならないと言う。ここで私の決心はついた。見るだけで帰ろう。
しかし現われた女性を見て、ハッとなった。いわゆるカシミールガール・タイプではないが、美人だ。身長百六十センチたらず、丸顔だが何ともいえぬ気品がある。彼女は私の横に座るとジッと眼を見てからニコリとした。歯がチラリとのぞき、私はもう一度ハッとした。こんな女性は始めてだ。私は勢い込んで言ってしまった。
「本当に俺は二百ルピーしか無いんだ。しかしホテルにはある」
私はもっと持ってこなかったことを、この時悔んでいた。残りはホテルで支払うことになったが、ホテルの名を告げると、彼女はそのホテルは嫌だという。何でも従兄弟がボーイをしているから、見られたら困るということらしい。そしてフラッティでなければ嫌だという。フラッティというのは、ラホールで一番古く格式ある高級ホテルである。
私は二百ルピーを若い男に渡すと、ポパイと二人で先に車へ引き返した。彼女は外出着に着がえて後から来るらしい。もう一時近いというのに茶店には人々が群れている。運チャンは車を人目につかない方へ移動させ、そこで彼女を待った。
まもなく黒いサリーを着、黒いブルカ(ベールのこと。回教徒の女性は屋外ではこれをかぶる)をかぶった彼女が老人とともにやってきた。父親らしい。車に入る前に、老人と軽く抱き合った。
″シングルで充分よ″
彼女は十八才、名前をイシャッドという。少々英語が話せる。私が君の英語と同じ程度のウルドー語が話せると言うと、「それだけ使えたら、パキスタンではいい生活ができますわ」と答えた。いつのまにかイシャッドは私のひざに軽く手を置いている。それがひどく優しい感じで私のココロはふるえた。
車はホテル・インターナショナルの前にきた。私は「ここで待て」といい置くと大急ぎで部屋に引き返す。
ドアの前で入念にノックをくり返す。ひょつとしてジョニー君が女と二人で居るかもしれないと思ったからだ。シャワーの音がしている。奴め、一緒に風呂など入りやがってと思い「ヘイ、ヘイ」と大声で呼んだ。ジョニーがバスタオルを腰と肩に二枚まとって現われた。
「僕はアブれた。何あわててるんだ」
私が、金が足りなくて取りに戻ったというと、彼はポカンとして「そんなにいい女か」とびっくりしている。
「イエース、イエース、ファーシト.クラース」私はポパイみたいな口調になった。
ペンタックスにカラーをセットし、ストロボのバッテリーを入れかえる。部屋を出がけにジョニーが「いいのを撮ってこいよ」と多少うらやましそうな顔になった。
小走りに道に出ると車がない。わが眼を疑った。いくら見回してもそれらしい車がいないのだ。やられた! 俺としたことが何というざまだ。無性に腹がたってヒザがガグガグとふるえた。考えてみればこういう可能性は充分にあったわけだ。というより至極当然の話なのだ。ポパイか運チャンを部屋に連れて行くべきだった。それに気がつかなかったとは今夜の俺はどうかしている。畜生! ナメヤガッテ! 心でののしりながら、まあ落ち着けと煙草に火をつける。
その時だ。モーリスのタクシーがスーツと前に止まり、窓からイシャッドがのぞいて笑つている。この時私はよほど間の抜けた顔をしていたに違いない。
フラッティへ車が滑り込むとイシャッドは「オー、オホー」とおどけた調子でいいながら、それまで頭上にまくり上げていたブルカをバッと下した。数人のパキスタン人が立ち話をしているが、ブルカをかぶれば顔は全く見えない。ブルカとはなるほど便利なもんである。だだっ広いパーキングの片隅に車を止めると、運チャンはこう言った。
「サーブ、いいですか。これから受付に行き、今ラワルピンディから着いたから部屋をとりたいとおっしゃい。彼女はボーイがさがってから私が連れて行きます」
ダブルとツインとどちらがいいかと聞くとイシャッドは「シングルで充分よ」と恥ずかしそうに言った。
ダラット、ダラット……
やっと二人きりになった。エアコンのよくきいた気持のいい部屋だ。このホテルは全部が平屋造りになっていて、その点プライバシーが保てる。しかしイシャッドは「チャビー、チャビー(鍵)」としきりに気にしている。
シャワーを浴び、ビールを飲む。もう二時をまわっていた。イシャッドは私のそばに座り、時々そっともたれかかってくる。彼女の美しさと優雅さを思うと、もうこれでいいような気もするが、私は若い。
写真を撮りたいというと、彼女は直ぐに応じ、服装を整えるとサッとポーズをとった。私は思わず次のような.バカげた問いを発せざるを得なかった。
「イシャッド」
「ジー(はい)」
「お前の商売は何なのだ」.
彼女のポーズはそれほどピタリと型にはまり、絵になっている。
私のカンはある程度あたっていた。彼女はパキスタン・ダンサーなのだ。映画にも出ており、イシャッドといえば知る人も多いらしい。ヌードを撮りたいというと、
「今はダメよ」
後からならいいらしい。
ビールを二人で三本飲んだ。彼女の方からねむいといいだしたので、ベッドに入ることにしたが、さすがの私も今回は少々興奮した。シングルベッドというのは、本当にふたりがピッタリとくっつかないと転げ落ちそうになる。
イシャッドにそっと手をのばして今日は金曜日だったと気がついた。というのは、回教徒は男も女も金曜日にアソコの毛を剃る風習があるのだ
インャッドは熟しきらないリンゴのようだった。彼女がその時に言った可愛いいささやき、「ダラット、ダラット ホーギー(痛い、痛いワ)」は、その後も私の耳に数日間残っていた。
そしてイシャッドは「ダラット、ダラットホーギー・・・・・・!」とささやいた。
ラホールの蒼い月
″ファーシト・クラース!″
ラホールの空に月がのぼった。まあるいおぼろ月だ。しかし、日本のそれとは色がまるでちがう、蒼白く澄んだベールをかぶった砂漠の月だ。
同室のジョニー君と相談して、今夜は別行動をとることにする。そして、このツインの部屋は先に帰ってきた方に利用権があるという申し合わせをした。
十時を少しまわっている。ちょっと遅すぎるかもしれないが、アブレた上物を買いたたけるという利点がある。エアコンのきいた部屋から出ると、四十度の暑さが足からはいのぼってくる。ホテルの前で客待ちのモーリスのタクシーに乗り込んだ。
「旦那、どちらへ」
パキスタン英語ではない。変にインテリ臭い運チャンだ。眼鏡などかけている。
「アッチーラルケー・マグターフーン(いい女どもが欲しいんだ)サブセ・アッチーラルキーハイ?(うんといい女はいるかい)」
こっちはウルド一語でベラベラしゃべる。お上りさんに見られると、とんでもない目にあうことうけあいである。運チャンは「ボホットヘー(沢山いるよ)」ときた。
「旦都、どこの国の女がいいのか。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、パキスタン。旦那の望み通りだよ」
「俺はパキスタン女だ。アメリカやヨーロッパの女にはもうあきた。奴等は気位ばかり高くていかん。やはりパキスタン女が最高だよ」
「アッチャアー(へえー)」
と運チャン。私のセリフは彼のプライドとナショナリズムをくすぐったらしい。ここぞと笑顔を作って値を聞くと、いい娘ならオールナイトで五百ルピーが相場だという。これは高い。なにせ私のポケットには二百ルピーしかない。だいたい持金が多いと強気で値切れないものだ。それでこれだけしか持ってこなかったのだ。
ところで今どこを走っているんだろう。マール・ロードを左に折れたのは分ったが、それからがおかしくなった。メーターは五ルピーを示している。
まもなく車は、裸電球がずらりとぶら下り道の両側に露店が並んだバザール(市場)を抜けたところで止まる。運チャンは小声でしばらく待つようにいうと、どこかへ姿を消した。バザールの食いもの屋のラジオがボリュームいっぱいに歌謡曲をがなりたてている。
運チャンが連れてきた五十がらみの親父を助手席に乗せると、車は再び夜道を走り出した。一体どこへ行くのだろうと多少不安ではあるが、聞いたとしても分ろうはずがない。どうせ行先はあなたまかせだ。
シートの背にもたれて目を閉じる。身体がけだるいのは、ホテルを出るまえにひっかけたスコッチのせいらしい。それにしてもどこまで走るのだろう。メーターは十二ルピー五十パイサを示している。
「おい、まだか!」
「もうすぐだよ、サーブ」とガイドの親父が大きくふりむいた。痩せたポパイみたいな顔をしている。曲者らしい。
「本当にいい女がいるのかい」
「最高の女だよ。第一級だよ」彼はしきりに″ファーシト・クラース!″と声をはり上げてくり返した。
「だが値もはるよ。千ルピーだ。嫌なら止めてもいいんだよ、サーブ。別の安いところを捜してもいいからね。でも、遅いから無理だろうね」
私は平然として言ってやった。
「そうか、俺は二百ルピーしか無いんでね。残念だが、ホテルへ帰るとするか。お前には一ルピーのボクシス(チップのこと)をやろう」
「分ったよ、サーブ。五百ルピーにしますよ」
あっさり半額になる。
「ナヒーン。ドゥ・ソウ(いや、二百だ)」
最高はカシミ−ルガール
いい争っているうちに目的地についたようだ。ラホール近郊の住宅街といった場所らしい。運チャンを車に残し、ポパイの後について細い露路に入る。蒼白くうるんだ月は大分傾いた。うす暗い道を足元に気をつけながら続いて行く。二曲りしてからポパイ親父は土塀のくぐり戸の中へ消えた。かわりに若い男が現れ、いやにひっそりした声で「アイエ、アイエ(お入り、お入り)」と私を呼んだ。
「サラーム・アライクム(こんばんは)」と答えたものの、一瞬身体がひきしまるような恐怖が私をとらえた。ふと、襲われるかもしれないと思ったからだ。
中庭は暗くてよく見えないが、木製のベッドが二つ置いてある三坪ぐらいの客部屋に入る。壁の色はグリーン、ベットのわきにソファーとテーブル。普通のプライベート・ハウスだ。
パキスタンの娼家はバブリック・プレースと呼ばれる公娼と、プライベート・ハウスと呼ぶ私娼とに分かれる。パブリック・プレースは″ショートがおみやげ付きで一ルピー″などといわれ、安い。しかし、女は見ただけで鳥肌がたつような代物で、両肩がすれるほど狭い露地をドブの悪臭をこらえて通ると、
「カムイン、カムイン」と声がかかる。まあ見るだけにした方がよい。
一方、プライベート・ハウスは主に外人用で、高級に属する住宅街にあったり、普通の一般家庭にあったりする。ショートで五十ルピーぐらい。大きなものでは十数人の女がいる所もある。ボスと用人棒(必ずといっていいほど大男)二人ぐらいがいる。そこでは普通次のようにして女を選ぶのがこつだ。
まず二、三人、時には五人ぐらいの女が現われてずらりと長椅子に並ぶ。ドラヴィダ系の色が黒く小柄な女ばかりで、まずこれといったのはいないはずだ。一応見渡してから無言で立ち上り、戸口に向かう。必ずボスがサ−ブ(旦那)と呼び止める。このへんがこつたるところで、あまり物欲しそうな顔と目付きをしてはいけない。たとえ息子がいらだっていてもだ。
ボスが顎をしゃくると、女たちはさっと別室へ退き、かわって数人が現われる。今度はかなりのセンのはずだ。ここで値段を聞いてもよいが、念のため「ドゥスラ・ナヒーン?(ほかにいないのか)」と聞くべきだ。大低これで終りだが、時としてアッと驚くほどの上玉が一人で現われることがある。とっておきなのである。例えばカシミールガール。パキスタンでは美人の代名詞のごとく使われ、体格よく、色白で目もとパッチリ、面長で下ぶくれのした本当に世界に類のない美しさだ。これが現われたらサイフの軽くなるのは覚悟しなければならない。
ハッとする女が……
さて、ここはどうかというと普通の家だしそんなに沢山の女がいるとも思えない。聞くと一人だけだという。少々面喰った。どうせ大したことはあるまい。見るだけで帰るとするか。見料(見るだけでも少々の金をとられることもある)はいくらぐらいだろう。なあに、一ルピーも払ってやらないぞ。
若い男とポパイが話しあっている。
「このサーブは二百ルピーにしろといっている」「そんな無茶な、五百ルピーだ」
この家に入った時からの緊張がとけると、暑さがグワーンと身体をせめたて、汗が一気に吹き出してきた。ハンカチを取り出しながら若い男を観察すると、なんとこの男、アンソニー・パーキンスそっくりだ。しかし、この国にはウィリアム・ホールデンそっくりの靴みがきなどざらにいるから、別に驚くにあたらない。このアンソニー君と交渉した結果、三百まで下ったが、どうしてもそれ以下にはならないと言う。ここで私の決心はついた。見るだけで帰ろう。
しかし現われた女性を見て、ハッとなった。いわゆるカシミールガール・タイプではないが、美人だ。身長百六十センチたらず、丸顔だが何ともいえぬ気品がある。彼女は私の横に座るとジッと眼を見てからニコリとした。歯がチラリとのぞき、私はもう一度ハッとした。こんな女性は始めてだ。私は勢い込んで言ってしまった。
「本当に俺は二百ルピーしか無いんだ。しかしホテルにはある」
私はもっと持ってこなかったことを、この時悔んでいた。残りはホテルで支払うことになったが、ホテルの名を告げると、彼女はそのホテルは嫌だという。何でも従兄弟がボーイをしているから、見られたら困るということらしい。そしてフラッティでなければ嫌だという。フラッティというのは、ラホールで一番古く格式ある高級ホテルである。
私は二百ルピーを若い男に渡すと、ポパイと二人で先に車へ引き返した。彼女は外出着に着がえて後から来るらしい。もう一時近いというのに茶店には人々が群れている。運チャンは車を人目につかない方へ移動させ、そこで彼女を待った。
まもなく黒いサリーを着、黒いブルカ(ベールのこと。回教徒の女性は屋外ではこれをかぶる)をかぶった彼女が老人とともにやってきた。父親らしい。車に入る前に、老人と軽く抱き合った。
″シングルで充分よ″
彼女は十八才、名前をイシャッドという。少々英語が話せる。私が君の英語と同じ程度のウルドー語が話せると言うと、「それだけ使えたら、パキスタンではいい生活ができますわ」と答えた。いつのまにかイシャッドは私のひざに軽く手を置いている。それがひどく優しい感じで私のココロはふるえた。
車はホテル・インターナショナルの前にきた。私は「ここで待て」といい置くと大急ぎで部屋に引き返す。
ドアの前で入念にノックをくり返す。ひょつとしてジョニー君が女と二人で居るかもしれないと思ったからだ。シャワーの音がしている。奴め、一緒に風呂など入りやがってと思い「ヘイ、ヘイ」と大声で呼んだ。ジョニーがバスタオルを腰と肩に二枚まとって現われた。
「僕はアブれた。何あわててるんだ」
私が、金が足りなくて取りに戻ったというと、彼はポカンとして「そんなにいい女か」とびっくりしている。
「イエース、イエース、ファーシト.クラース」私はポパイみたいな口調になった。
ペンタックスにカラーをセットし、ストロボのバッテリーを入れかえる。部屋を出がけにジョニーが「いいのを撮ってこいよ」と多少うらやましそうな顔になった。
小走りに道に出ると車がない。わが眼を疑った。いくら見回してもそれらしい車がいないのだ。やられた! 俺としたことが何というざまだ。無性に腹がたってヒザがガグガグとふるえた。考えてみればこういう可能性は充分にあったわけだ。というより至極当然の話なのだ。ポパイか運チャンを部屋に連れて行くべきだった。それに気がつかなかったとは今夜の俺はどうかしている。畜生! ナメヤガッテ! 心でののしりながら、まあ落ち着けと煙草に火をつける。
その時だ。モーリスのタクシーがスーツと前に止まり、窓からイシャッドがのぞいて笑つている。この時私はよほど間の抜けた顔をしていたに違いない。
フラッティへ車が滑り込むとイシャッドは「オー、オホー」とおどけた調子でいいながら、それまで頭上にまくり上げていたブルカをバッと下した。数人のパキスタン人が立ち話をしているが、ブルカをかぶれば顔は全く見えない。ブルカとはなるほど便利なもんである。だだっ広いパーキングの片隅に車を止めると、運チャンはこう言った。
「サーブ、いいですか。これから受付に行き、今ラワルピンディから着いたから部屋をとりたいとおっしゃい。彼女はボーイがさがってから私が連れて行きます」
ダブルとツインとどちらがいいかと聞くとイシャッドは「シングルで充分よ」と恥ずかしそうに言った。
ダラット、ダラット……
やっと二人きりになった。エアコンのよくきいた気持のいい部屋だ。このホテルは全部が平屋造りになっていて、その点プライバシーが保てる。しかしイシャッドは「チャビー、チャビー(鍵)」としきりに気にしている。
シャワーを浴び、ビールを飲む。もう二時をまわっていた。イシャッドは私のそばに座り、時々そっともたれかかってくる。彼女の美しさと優雅さを思うと、もうこれでいいような気もするが、私は若い。
写真を撮りたいというと、彼女は直ぐに応じ、服装を整えるとサッとポーズをとった。私は思わず次のような.バカげた問いを発せざるを得なかった。
「イシャッド」
「ジー(はい)」
「お前の商売は何なのだ」.
彼女のポーズはそれほどピタリと型にはまり、絵になっている。
私のカンはある程度あたっていた。彼女はパキスタン・ダンサーなのだ。映画にも出ており、イシャッドといえば知る人も多いらしい。ヌードを撮りたいというと、
「今はダメよ」
後からならいいらしい。
ビールを二人で三本飲んだ。彼女の方からねむいといいだしたので、ベッドに入ることにしたが、さすがの私も今回は少々興奮した。シングルベッドというのは、本当にふたりがピッタリとくっつかないと転げ落ちそうになる。
イシャッドにそっと手をのばして今日は金曜日だったと気がついた。というのは、回教徒は男も女も金曜日にアソコの毛を剃る風習があるのだ
インャッドは熟しきらないリンゴのようだった。彼女がその時に言った可愛いいささやき、「ダラット、ダラット ホーギー(痛い、痛いワ)」は、その後も私の耳に数日間残っていた。
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