西パキスタンの旅 第6話「ギルギットへの突入−−その3−−」
スパイ容疑?
ビカピカに磨きあげられたジープから現われた軍人は、およそ身長一八〇センチ。腹が少し出て、立派な口ひげをたくわえている。軍服・軍帽をぴたりと身につけ、手には指揮棒。胸にはズラリと略章。かなりの高官と見てとれた。士官四人を伴っている。
軍人は、待ちうける私に歩みよると「英語がしゃべれるか」と聞いてから、道路許可証を持っているかと聞いた。
「勿論ある」私は、″オブコース″と強く答えた。
「Show me(見せてもらおう)」
私は、うやうやしくTourist Introduction Cardをさし出した。一目見て、「これではない」彼は小さく舌打ちした。
私は、これは「パキスタン政府発行の許可証だろう」とすっとぼけ、それから To Whom It May Concern を見せた。
軍人は「ついてこい(Follow me)」というとジープに乗り込み、走り出した。私たちはあとを追った。ジープはぐんぐんスピードをあげ、すぐに見えなくなった。
半時間ほど行くと、インダス峡谷は急に開け、大きく広がった山すそに、村が現われた。かなり大きな村だ。パタンという。
入口にゲートがあって、鉄砲を持った番兵がいる。ゲートを開けてくれない。
「今ジープが通ったろう。あのジープに乗っていたのは誰だ」
「コマンダーサーブだ」
「私たちは、そのコマンダーサーブに呼ばれて行くところだ」。番兵は、ただちにゲートを開いた。
かの軍人はコマンダーであったのか。
私たちは、このパタン村に駐屯する工兵師団の司令官、アヌワ一大佐の出迎えをうけたのだ。これがよい前兆であるはずはない。私たちは緊張した。
下の道で待っていた下士官をステップに乗せて、ジープは案内されるままに、斜面に並ぶ軍隊宿舎の間をぬって、急斜面を登った。
コマンダーのメスは、一番高い所にある。ベアラーが三人出迎え、いとも親密の情を現わして私たちを居間に導いた。何となく調子が狂う。
紅茶をのんでいると、私たちを案内した下士官がきてこういった。
「あなた方は、服の着換えをお持ちですか。身体を洗って、服を着がえるように。コマンダーサーブが、いっしょに食事をするとおっしゃっています」
あくまでも、私たちをコマンダーの客と信じている様子だ。ますます調子が狂う。これはどういうことなんだろう。私は、必死に今の情勢を分析しょうと試みる。
どうやらこの男は何も事情を知らないらしい。いずれにしろ私たちが、今、疑われていることは間違いない。
ベアラーが現われると、中村に「あなたのライターを士官が見たいといっている。少しかしてください」と中村のガスライターを持ち去った。
このライターは、透明プラスチック、円筒形で、大阪ガスのマークがはいっている。安い代物だが、パキスタンではこれが大もてだった。中村は、行く先々で、売ってくれとせがまれ困っていた。そこで、彼は.ハキスタン人の前で、このライターを少々意識して使っている。だから、ここについてすぐ、タバコに火をつけたときの動作から、士官が何かを感じたのだ。そして、きっと隠しカメラではないかと思ったに違いない。種も仕掛もないただのライターだ。いくら調べられてもかまわない。
だが、ジープを調べられたら困る。いろいろの書き込みをした地図とノート。六台のカメラと16ミリ。大量のフィルム。測量器具。スパイ容疑が成立する材料は、充分にある。ここにつくまでに、こういうものは外から見てもわからないようにしてはあるのだが…。着換えを取り出すのは危険だ。私たちは、汚れて、汗くさいパキスタン服で通すことにした。
コマンダー・アヌワー
コマンダーが平服で現われた。いろいろと質問するが、私たちを疑っている様子はみえない。
今度は二度目のパキスタンである。前回は登山であった。今度は、機械文明の高度発達社会で失われた、何か貴重なものを求めての旅であることを、私は話した。
日本は、アメリカに似てきた。物質文明は精神的なものを駆逐する。物質主義はよくない。日本は伝統的な精神文化を大切に守り、アメリカに追随してはいけない一。きれいに手入れされた口ひげを指でなぜながら、彼はゆっくりとこう語った。彼は、武士道は勿論、シントーイズム(神道)にまで深い知識を持っていた。かなりの日本通だ。
それに、私たちに好意を持っているようだ。大分安心した。
そこで私は開いた。「ギルギットへは行けるのか」「You can go」と彼は答え、「しかし今日はもう遅い。今夜ここに泊まって行け」。さらにつづけて、「どうしてそんなにギルギットに行きたいのだ。他の場所がいくらでもあるのではないか。たとえば、スワートはフリーに行けるではないか」
私は、これ以上くいさがるのをやめた。
安田は、アヌワ一大佐へのプレゼントを取りに出ていったが、しばらくして戻ってくると「写真機を見つけられた」と真剣な顔でいった(このとき、彼はカメラというのを避けた)。ジープの所へ行くと、士官の一人が中をのぞきこんでいた。そして「カメラを持っているか」と聞いた。いっしょにいた関田が、同じようにのぞいて見ると、荷物の間からカメラのベルトがのぞいている。関田は、変に隠すとかえってまずいととっさに判断した。そして、そのカメラ(ローライフレックス)を士官のいうままに取り出して見せたという。
私たちが心配そうに早口でしゃべっているので「どうかしたのか」とアヌワーが聞いた。このときまで、私たちはほとんど日本語を使っていなかった。別に申し合わせたわけではないが、日本語を使うと、彼らの疑いを増すのではないかと思ったからだ。
「あなたの部下がカメラを見せろ、といっている」
「写真を写したのか」アヌワーの顔が少しけわしくなる。
「写した。手前の部落で村人のスナップを二枚とった」。本当はもっといろいろ写していたのだが、私はウソをついた。
ちょうどそういったとき、士官がはいってきた。色白で、眼玉のやけに大きい奴だ。私たちを見るとき、いつも上目づかいの三白眼だ。疑惑のマナコとは、こういうのをいうのだろう。ライターを調べたのもこいつに違いない。どうも虫の好かない野郎だ。
彼はアヌワ一に耳うちした。「彼らはカメラを持っています」
「知っている。別に何も写していないそうだ」アヌワーが答えると、眼玉は、拍子孜けしたような顔になり、憎々しげに私をにらんだ。
アヌワーと士官三人といっしょの食事がすむと、三時だった。再び居間のソファーに座ると猛烈な眠気がおそってきた。今まで、態度にこそ出していないが、ほとんど引きちぎれんばかりに緊張していたのだ。
私たちが出発する様子なので、三人の士官は必死に止めにかかった。アヌワーがいなくなるとこの三人は急に元気づいてしゃべりだす。「今から行くのは危険だ。次の村までは五〇マイルもある。夜になると道から転げ落ちるぞ」。大丈夫ゆっくり行くからというと、「危険なのは道だけではない。人間も危ない。知っているだろう。この辺りはトライバル・テリトリーなのだ。われわれでさえ、夜は決して出歩かない。今夜はここに泊まれ」
こんな押問答をしているうちに、四時になった。もうタイムリミットだ。
私は安田に合図した。安田は、いいタイミングで立ちあがると、「バラサーブ。さあ出発しましょう」と大声で私にいった。それをきっかけに、私たちは一斉に立ちあがり、もてなしの礼をのべて車に乗りこんだ。
眼玉一人が見送っている。例の目が、「こいつらいよいよ怪しい」といっているようだ。
雨はすっかりあがり、対岸の山肌に霧がたなびいている。(この項つづく)
ビカピカに磨きあげられたジープから現われた軍人は、およそ身長一八〇センチ。腹が少し出て、立派な口ひげをたくわえている。軍服・軍帽をぴたりと身につけ、手には指揮棒。胸にはズラリと略章。かなりの高官と見てとれた。士官四人を伴っている。
軍人は、待ちうける私に歩みよると「英語がしゃべれるか」と聞いてから、道路許可証を持っているかと聞いた。
「勿論ある」私は、″オブコース″と強く答えた。
「Show me(見せてもらおう)」
私は、うやうやしくTourist Introduction Cardをさし出した。一目見て、「これではない」彼は小さく舌打ちした。
私は、これは「パキスタン政府発行の許可証だろう」とすっとぼけ、それから To Whom It May Concern を見せた。
軍人は「ついてこい(Follow me)」というとジープに乗り込み、走り出した。私たちはあとを追った。ジープはぐんぐんスピードをあげ、すぐに見えなくなった。
半時間ほど行くと、インダス峡谷は急に開け、大きく広がった山すそに、村が現われた。かなり大きな村だ。パタンという。
入口にゲートがあって、鉄砲を持った番兵がいる。ゲートを開けてくれない。
「今ジープが通ったろう。あのジープに乗っていたのは誰だ」
「コマンダーサーブだ」
「私たちは、そのコマンダーサーブに呼ばれて行くところだ」。番兵は、ただちにゲートを開いた。
かの軍人はコマンダーであったのか。
私たちは、このパタン村に駐屯する工兵師団の司令官、アヌワ一大佐の出迎えをうけたのだ。これがよい前兆であるはずはない。私たちは緊張した。
下の道で待っていた下士官をステップに乗せて、ジープは案内されるままに、斜面に並ぶ軍隊宿舎の間をぬって、急斜面を登った。
コマンダーのメスは、一番高い所にある。ベアラーが三人出迎え、いとも親密の情を現わして私たちを居間に導いた。何となく調子が狂う。
紅茶をのんでいると、私たちを案内した下士官がきてこういった。
「あなた方は、服の着換えをお持ちですか。身体を洗って、服を着がえるように。コマンダーサーブが、いっしょに食事をするとおっしゃっています」
あくまでも、私たちをコマンダーの客と信じている様子だ。ますます調子が狂う。これはどういうことなんだろう。私は、必死に今の情勢を分析しょうと試みる。
どうやらこの男は何も事情を知らないらしい。いずれにしろ私たちが、今、疑われていることは間違いない。
ベアラーが現われると、中村に「あなたのライターを士官が見たいといっている。少しかしてください」と中村のガスライターを持ち去った。
このライターは、透明プラスチック、円筒形で、大阪ガスのマークがはいっている。安い代物だが、パキスタンではこれが大もてだった。中村は、行く先々で、売ってくれとせがまれ困っていた。そこで、彼は.ハキスタン人の前で、このライターを少々意識して使っている。だから、ここについてすぐ、タバコに火をつけたときの動作から、士官が何かを感じたのだ。そして、きっと隠しカメラではないかと思ったに違いない。種も仕掛もないただのライターだ。いくら調べられてもかまわない。
だが、ジープを調べられたら困る。いろいろの書き込みをした地図とノート。六台のカメラと16ミリ。大量のフィルム。測量器具。スパイ容疑が成立する材料は、充分にある。ここにつくまでに、こういうものは外から見てもわからないようにしてはあるのだが…。着換えを取り出すのは危険だ。私たちは、汚れて、汗くさいパキスタン服で通すことにした。
コマンダー・アヌワー
コマンダーが平服で現われた。いろいろと質問するが、私たちを疑っている様子はみえない。
今度は二度目のパキスタンである。前回は登山であった。今度は、機械文明の高度発達社会で失われた、何か貴重なものを求めての旅であることを、私は話した。
日本は、アメリカに似てきた。物質文明は精神的なものを駆逐する。物質主義はよくない。日本は伝統的な精神文化を大切に守り、アメリカに追随してはいけない一。きれいに手入れされた口ひげを指でなぜながら、彼はゆっくりとこう語った。彼は、武士道は勿論、シントーイズム(神道)にまで深い知識を持っていた。かなりの日本通だ。
それに、私たちに好意を持っているようだ。大分安心した。
そこで私は開いた。「ギルギットへは行けるのか」「You can go」と彼は答え、「しかし今日はもう遅い。今夜ここに泊まって行け」。さらにつづけて、「どうしてそんなにギルギットに行きたいのだ。他の場所がいくらでもあるのではないか。たとえば、スワートはフリーに行けるではないか」
私は、これ以上くいさがるのをやめた。
安田は、アヌワ一大佐へのプレゼントを取りに出ていったが、しばらくして戻ってくると「写真機を見つけられた」と真剣な顔でいった(このとき、彼はカメラというのを避けた)。ジープの所へ行くと、士官の一人が中をのぞきこんでいた。そして「カメラを持っているか」と聞いた。いっしょにいた関田が、同じようにのぞいて見ると、荷物の間からカメラのベルトがのぞいている。関田は、変に隠すとかえってまずいととっさに判断した。そして、そのカメラ(ローライフレックス)を士官のいうままに取り出して見せたという。
私たちが心配そうに早口でしゃべっているので「どうかしたのか」とアヌワーが聞いた。このときまで、私たちはほとんど日本語を使っていなかった。別に申し合わせたわけではないが、日本語を使うと、彼らの疑いを増すのではないかと思ったからだ。
「あなたの部下がカメラを見せろ、といっている」
「写真を写したのか」アヌワーの顔が少しけわしくなる。
「写した。手前の部落で村人のスナップを二枚とった」。本当はもっといろいろ写していたのだが、私はウソをついた。
ちょうどそういったとき、士官がはいってきた。色白で、眼玉のやけに大きい奴だ。私たちを見るとき、いつも上目づかいの三白眼だ。疑惑のマナコとは、こういうのをいうのだろう。ライターを調べたのもこいつに違いない。どうも虫の好かない野郎だ。
彼はアヌワ一に耳うちした。「彼らはカメラを持っています」
「知っている。別に何も写していないそうだ」アヌワーが答えると、眼玉は、拍子孜けしたような顔になり、憎々しげに私をにらんだ。
アヌワーと士官三人といっしょの食事がすむと、三時だった。再び居間のソファーに座ると猛烈な眠気がおそってきた。今まで、態度にこそ出していないが、ほとんど引きちぎれんばかりに緊張していたのだ。
私たちが出発する様子なので、三人の士官は必死に止めにかかった。アヌワーがいなくなるとこの三人は急に元気づいてしゃべりだす。「今から行くのは危険だ。次の村までは五〇マイルもある。夜になると道から転げ落ちるぞ」。大丈夫ゆっくり行くからというと、「危険なのは道だけではない。人間も危ない。知っているだろう。この辺りはトライバル・テリトリーなのだ。われわれでさえ、夜は決して出歩かない。今夜はここに泊まれ」
こんな押問答をしているうちに、四時になった。もうタイムリミットだ。
私は安田に合図した。安田は、いいタイミングで立ちあがると、「バラサーブ。さあ出発しましょう」と大声で私にいった。それをきっかけに、私たちは一斉に立ちあがり、もてなしの礼をのべて車に乗りこんだ。
眼玉一人が見送っている。例の目が、「こいつらいよいよ怪しい」といっているようだ。
雨はすっかりあがり、対岸の山肌に霧がたなびいている。(この項つづく)
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