バブサル峠への潜行−−その2−−
熱病の女
いつの問にか雨は止んでいる。
再び走り出してすぐ、さっきの三人が手を振っている。私たちが、必死に奮闘している間に、追い越したらしい。
無視して通り過ぎた。しかし急に、乗せてやるべきだという気がした。なぜそう思ったか、ちょっと説明がつかない。
ブレーキを踏むと、すぐ彼等は走り寄ってきた。私は言った。「一人は後のステップに立て。もう一人は横のステップだ。婦人は中に乗ってもらう。それでいいなら運んでやろう」
この車のシートは、三人掛けが精一杯で、四人というとギュウギュウ詰めである。女が乗りこんだとたん、物すごい匂いだ。胸がムカムカする。
「くさいなあ。こらギ一(羊脂)の匂いですヮ」と安田がいう。スワートで遊牧民と生活を共にして、この匂いは気にならなくなっていたはずなのだが‥‥。
「そいつ、年はいくつ位や。関田」
「分りまへんな。ブルカしてよるさかい」
「せやけど、そんだけひっついて座ってたら、身体つきから分るんとちがうんか」
「いや分らん。そやけど、こいつ病気らしいで。身体が火みたいや」
「そらお前、お前とひっついて興奮してんのとちがうやろか」
「アホなこというてて、谷底へ落ちたらあかんで」
こんな馬鹿げたやりとりをしているうちに、女はゲーゲーやり出した。そのたびに車を止めて、背中をさすり、水をやってうがいをさせねばならない。とんだ厄病神だ。私はイライラしてきた。関田は女を腕にかかえて、本当によくやっている。女は熱病らしい。熱いらしく、ブルカを額までたくしあげた。関田が顔をのぞいて、
「これは、一七〜八でっせ。美人や」などというもんだから、私は思わずわき見して谷に落ちそうになった。
外から男が「もうすぐゲートです。サーブ」とどなった。
ゲートは、ちょうど踏切の遮断機の形で、丸太が道をふさいでいた。鍵がかけてあり開かない。さて困った。ここで行止りか。
そばには、石づくりの家が並んでいる。軒下にごろねしていた数人の男が、起きあがりねぼけ眼で見ている。
ふと気がつくと、ゲートは道幅いっぱいではなく、横が空いていて、そこはかなり大きな岩でふさいであるのだ。これを除けたら通れる。私たちは、力いっぱい岩を押した。
ポリスは遂に現われなかった。私たちは問題のゲートを通過した。このカガン村のはずれで、三人のパキスタン人は、私たちのやった薬を手に、何度も礼をいって去っていった。
難関は、石一つを転がすだけで、いとも簡単に突破できた。ほっとしたものの、追いかけられるかも知れないと思うと、気が気ではない。カガン村を過ぎると、道が急に狭くなったが、しゃにむにぶっ飛ばした。昨日からほとんど眠っていないのだが、不思議に疲れを感じない。
薄氷の上で立往生
「もうすぐ夜が明けます」大声で安田がいった。四輪駆動のセカンドの唸りがものすごい。もう四時だ。
突然、道が切れ雪が現われた。雪渓だ。道が谷の左岸の雪渓を横切っているらしい。関田と安田は飛び出して見に行った。ライトに照らされて、雪渓から霧が立ちのぽっている。雪の斜面をけずって、道がつけてある。こんなに早く雪が現われるとは、予想もしなかった。まだ高度は二五〇〇メートルにもなっていないはずだ。
まもなく前方に現われた関田は、「これが道や、行ける行ける」と大きく手を振った。
ウーウー。エンジソの唸りと共に、私はこの固く凍って、氷のようになった雪渓へと突き進んだ。
バリッ!ガッタン。大きなショックで車は止ってしまった。〈しまった。バンパーをひっかけた〉左側へ踏み出さないよう、意識して山側に寄っていた私は、瞬間そう思った。
そしてドアを開けて下をのぞいて見て、唖然とした。車輪が氷を踏み破ったのだ。雪渓は水流でえぐられてアーチ状になっており、一番薄い部分は、厚さ一センチもない。車の右前輪がそこを破り、運よく山側の雪に突っ込んだバンパーで、からくも支えられているのだ。
今にも、車もろ共谷底に墜落しそうで、あわてて飛び出す。膝がガクガクふるえているのが分った。「どうしよう、どうしよう」といっても、外にいた二人は、まだ事情が分っていない。大丈夫、大丈夫などといっている。しかし、車輪のまわりにぽっかりあいた穴を見て、言葉もなく立ちすくんだ。
関田は無言で、いやにゆっくりと、ライトで四方を照らしている。驚いたことに、すぐ下方には、直径五メートルもある大穴がポッカリロをあけている。私たちは、薄い氷の上に飛び込んでしまったのだ。
「ジャッキ、ジャッキ」と叫ぶ声も舌がもつれる。口がカラカラだ。今にも足もとに穴があきそうで、いっそ逃げだしたい気持だった。
扁平な石をつみあげた台の上へジャッキをのせ、車をもちあげようとするが、手がブルブルふるえており、気ばかりあせってうまくいかない。一心にジャッキをあやつっているうちに、不思議に落着いた気持になった。穴から谷の水音が聞こえてくる。水音から判断して、下までは一〇メートルもないだろう。ジープもろ共落ちたとして〈生存の確率は何%だろう〉などと考えた。関田と安田は必死に荷物を運び出している。
二台のジャッキを交互に働かせて、少しずつ、車を横ににじらせた。ところが穴より一〇センチが限度で、それ以上は無理だった。反対車輪が、斜面にはみ出してしまうのだ。しかしこれでは前進したとき、後輪でもうー度踏み破るかも知れない。そうかといって、バックすることもできない。というのは、左後輪はすでに斜面にはみ出しているので、もしバックすれば、車は斜面に滑り込んでしまうに違いない。そうなったら完全にお手あげだ。
私たちは、まったく進退きわせった。正直に告白すれば、このとき私はどんなに勇気をふるい起こしても、運転席に座る気にはなれなかった。
覚悟をきめた関田が乗り込み、「押してやーツ!」と悲壮な声と共に発進した。フルスロットルのヒーンというエンジン音をあげて、車は尻を下方にふり、斜めになったまま横ばいに進み、次いで飛び上がるようにして、対岸の泥に突っ込んで止った。助かった……。私は全身の力が抜けていくのを感じた。
気がつくと、夜はまったく明けていた。知らぬ間に二時間がたっていた。
バブサル峠に立つ
そのときひとりの村人が通りかかった。私が朝のあいさつを送ると、
「アライクム・アッサラーム(あなたにも神の加護が…)」と答えた。
そして私が穴を無言で指さしたとき、彼は頭の両側に掌をひろげ、回教徒の祈りのポーズをとった。一瞬にことの次第を理解したのだ。そして、あなた方も感謝の祈りをささげるようにいった。
でも私たちは、もうすでに何回も、心の中で感謝の祈りをささげていたのだった。
ナランはすぐだった。ナランを過ぎて、私たちはなおも、この危険きわまりない道せ走りつづけた。いろいろなことがあったがもうやめにする。とにかく休みなく走って、同日一二時二〇分、四二〇〇メートルのバブサル峠に達した。
大きくひらけた広い峠で、高山植物が一面に花をつけ、風にふるえていた。
眼前には、真白なカラコルムの高峰が、一面にひろがっていた。安田は涙をながしていた。高度のせいか、少々頭が痛かった。
(この項終り)
〔付記〕 この後、私たちはまたしてもストップを喰った。予期しない所、峠を約一二〇〇メートル下ったバブサル村、にゲートがあったのだ。その夜はこの村のレストハウスに泊った。ここに駐在するA・P・A(ポリティカル・エージェント補佐官)が私たちを訪れた。駄目なことが分っていたから、今回は行かせてくれとは頼まなかった。
「ここはパキスタンではない。インドとの係争地だ。パキスタンであったら君たちを止めはしない」と、彼はいった。「ヤヒアカーンは、中国との国境協定を成立さすべく、インドとの関係に特に気を配っている」
この十一月に行なわれた、ヤヒアカーンの中国訪問と、国境問題を含む共同コミニュケ発表は、既にこのときから予定されていたのかも知れなぃ。
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