歯医者カンタ・カルロ先生
<ヨーロッパの旅とスキー(2007)>の「歯医者に行く」に書いたように、さし歯に故障が起こったのは、昨年(2007)の1月のこと。
ちょうど1年と数ヶ月前のことだった。
「遠い国からのお客さんからお金は取れません」といって、治療費を受け取ろうとしなかったのは、クーネオの開業歯科医カンタ・カルロ先生だった。
日本に帰って知り合いの歯科医の友人などに、この話をしたら、誰もが日本では信じられない話だと言った。それを聞いて、なにかお礼の品を送るべきだとは考えたものの、何がいいか思い当たらなかった。
今回のイタリア行きの出発日が近づいて、そのプレゼントの決定を迫られ、ようやく決めたのが、浮世絵の額であった。
ネットで探したらいい物が見つかった。喜多川歌麿の「ポッピンを吹く女」。ポッピンというのは、江戸時代から庶民に親しまれた欧州伝来のガラス細工である。
その時代ガラスはポルトガル語でビードロと呼ばれたが、その鳴らす音からポッペンとも呼ばれた。これもネットで買えるので、付けることにした。
オランダかポルトガルかは知らないが、欧州伝来の玩具で遊ぶ女性の浮世絵。これはまったくいいアイデアではなかろうか。
そもそも浮世絵とは、日本が世界に誇れる特別な芸術である、とぼくは思っている。それはどういうことなのかを説明してみよう。
その時代、パリに匹敵する大都市は江戸であったと言われている。でも、ぼくにいわすれば、江戸に匹敵するのが、パリなのである。たとえば、その大衆の食の多様さと文化度に於いて。
浮世絵では、その遠近法や巻き上がる波の向こうの富士山などの技法は、欧州の絵描きの驚嘆を呼び、その地にジャポニスムいわゆる日本心酔をよぶ。
スコットランドの友人、ジャニス・フォーサイスの邸宅には梅の木や花魁を描いた油絵があった。彼女によれば、スコットランドには、4人のジャポニスムに心酔した絵描きが存在し、この絵はその一人の作だという。
ジャニスが日本に関心を持ち、日本に憧れ、一人娘の幼稚園の学芸会に着物を着せるまでの日本ファンになったきっかけは、この一枚の油絵だったという。ジャポニスムはたんなる一時的な流行ではなく、30年以上も続いたルネッサンスにも匹敵するような芸術的な潮流であったのだ。
だがしかし、ぼくが強調したいのは、ジャポニスムの元となった浮世絵が一部の上流階級のものではなく、庶民大衆が楽しむためのものであり、庶民大衆はそれだけの鑑賞眼を持ちあわせる存在であった点である。
これだけを考えても、パリとの比較に於ける優劣は明らかであろう。
話が少々脇にそれた感がある。元に戻そう。
さて、というわけで、リモネットに着いた翌日、ぼくはクーネオに出向き、件(くだん)の浮世絵の額とポッペンをカンタ・カルロ先生に届けた。
カルロ先生は、「こんなもの貰い過ぎではないですか。たいしたこともしていないのに」と恐縮されていた。そして、
「ところで、歯の方はその後いかがですか」と訊いた。
「いえいえ、問題はないです」とぼくは答えた。
ところが、である。その翌日の木曜日の夜、ぼくの前歯は、突然ぽろりと抜け落ちたのである。まったく驚いた。何となく間が良すぎる、いや間が悪すぎるというべきか。
イタリアは、ちょうど今日が5月1日のメーデーのナショナルホリデー。イタリア国民はこの日から少なくとも10日間のバカンスを取るのが通例であるという。カンタ先生も今日辺りからバカンスに出かけて留守だろう。
これはえらいことになった、とぼくはあわてた。
とにかく明日開いている歯医者を捜さなければならない。今回さし歯が抜けただけだから、英語のしゃべれる歯医者は必ずしも必要ではない。
大体開いてる歯医者が、クーネオで見つかるのか。期待薄である。
もし見つからなければ、国境越えでニースまで行って、ホテルのコンシアージにでも探してもらおう。そう思って、その夜は眠りについた。
翌朝、その日は休診日だと分かっていたが、ダメモトでとカンタ・カルロ先生に電話した。急患用の留守電もあるかもしれない。
驚いた。カンタ先生が出て来たのである。
「必要な書類を忘れたので取りに来たところです。そうですか。12時30分にいらっしゃい。1時30分から用事があるけれど、とにかくいらっしゃい」
なんという幸運、神様仏様のご加護。ぼくは、舞い上がってクーネオに向かってBMWを駆った。
会うなり、彼は先日のプレゼントのお礼をいった。「先日のあの額、家内が見て、素晴らしいものよと喜んでいました。ありがとう」
治療台に座る。
「歯にはまったく問題はありません。接着剤が外れただけです。15分で直りますよ」
そういうと、かれは戸棚を開けて探し物を始めた。今日は休診日でいつもは3人もいる看護婦さんがいないのだ。
5分以上経って、接着剤の瓶を持って戻ると、「接着剤には沢山種類があるんだけど、僕はこれが好きなんで」などといった。
あれこれと探し物が色々あって、15分で終わるはずの治療は、結局占めて30分を要した。
「治療代を払わないといけません。おいくらか言ってください」
「いえいえ、代金は先日頂いたプレゼントで余ってますよ」
「そんなことで、お代を取って頂かないと、ぼくは次に来た時に二度目のお礼を持ってこないといけなくなります」とぼくは言った。するとカンタ先生は、
「とんでもない。次にいらっしゃった時には連絡してください。ランゲのレストランの食事にご案内しますから」
「ほんとですか。楽しみにしています」とぼくは答えた。
ちょうど1年と数ヶ月前のことだった。
「遠い国からのお客さんからお金は取れません」といって、治療費を受け取ろうとしなかったのは、クーネオの開業歯科医カンタ・カルロ先生だった。
日本に帰って知り合いの歯科医の友人などに、この話をしたら、誰もが日本では信じられない話だと言った。それを聞いて、なにかお礼の品を送るべきだとは考えたものの、何がいいか思い当たらなかった。
今回のイタリア行きの出発日が近づいて、そのプレゼントの決定を迫られ、ようやく決めたのが、浮世絵の額であった。
ネットで探したらいい物が見つかった。喜多川歌麿の「ポッピンを吹く女」。ポッピンというのは、江戸時代から庶民に親しまれた欧州伝来のガラス細工である。
その時代ガラスはポルトガル語でビードロと呼ばれたが、その鳴らす音からポッペンとも呼ばれた。これもネットで買えるので、付けることにした。
オランダかポルトガルかは知らないが、欧州伝来の玩具で遊ぶ女性の浮世絵。これはまったくいいアイデアではなかろうか。
そもそも浮世絵とは、日本が世界に誇れる特別な芸術である、とぼくは思っている。それはどういうことなのかを説明してみよう。
その時代、パリに匹敵する大都市は江戸であったと言われている。でも、ぼくにいわすれば、江戸に匹敵するのが、パリなのである。たとえば、その大衆の食の多様さと文化度に於いて。
浮世絵では、その遠近法や巻き上がる波の向こうの富士山などの技法は、欧州の絵描きの驚嘆を呼び、その地にジャポニスムいわゆる日本心酔をよぶ。
スコットランドの友人、ジャニス・フォーサイスの邸宅には梅の木や花魁を描いた油絵があった。彼女によれば、スコットランドには、4人のジャポニスムに心酔した絵描きが存在し、この絵はその一人の作だという。
ジャニスが日本に関心を持ち、日本に憧れ、一人娘の幼稚園の学芸会に着物を着せるまでの日本ファンになったきっかけは、この一枚の油絵だったという。ジャポニスムはたんなる一時的な流行ではなく、30年以上も続いたルネッサンスにも匹敵するような芸術的な潮流であったのだ。
だがしかし、ぼくが強調したいのは、ジャポニスムの元となった浮世絵が一部の上流階級のものではなく、庶民大衆が楽しむためのものであり、庶民大衆はそれだけの鑑賞眼を持ちあわせる存在であった点である。
これだけを考えても、パリとの比較に於ける優劣は明らかであろう。
話が少々脇にそれた感がある。元に戻そう。
さて、というわけで、リモネットに着いた翌日、ぼくはクーネオに出向き、件(くだん)の浮世絵の額とポッペンをカンタ・カルロ先生に届けた。
カルロ先生は、「こんなもの貰い過ぎではないですか。たいしたこともしていないのに」と恐縮されていた。そして、
「ところで、歯の方はその後いかがですか」と訊いた。
「いえいえ、問題はないです」とぼくは答えた。
ところが、である。その翌日の木曜日の夜、ぼくの前歯は、突然ぽろりと抜け落ちたのである。まったく驚いた。何となく間が良すぎる、いや間が悪すぎるというべきか。
イタリアは、ちょうど今日が5月1日のメーデーのナショナルホリデー。イタリア国民はこの日から少なくとも10日間のバカンスを取るのが通例であるという。カンタ先生も今日辺りからバカンスに出かけて留守だろう。
これはえらいことになった、とぼくはあわてた。
とにかく明日開いている歯医者を捜さなければならない。今回さし歯が抜けただけだから、英語のしゃべれる歯医者は必ずしも必要ではない。
大体開いてる歯医者が、クーネオで見つかるのか。期待薄である。
もし見つからなければ、国境越えでニースまで行って、ホテルのコンシアージにでも探してもらおう。そう思って、その夜は眠りについた。
翌朝、その日は休診日だと分かっていたが、ダメモトでとカンタ・カルロ先生に電話した。急患用の留守電もあるかもしれない。
驚いた。カンタ先生が出て来たのである。
「必要な書類を忘れたので取りに来たところです。そうですか。12時30分にいらっしゃい。1時30分から用事があるけれど、とにかくいらっしゃい」
なんという幸運、神様仏様のご加護。ぼくは、舞い上がってクーネオに向かってBMWを駆った。
会うなり、彼は先日のプレゼントのお礼をいった。「先日のあの額、家内が見て、素晴らしいものよと喜んでいました。ありがとう」
治療台に座る。
「歯にはまったく問題はありません。接着剤が外れただけです。15分で直りますよ」
そういうと、かれは戸棚を開けて探し物を始めた。今日は休診日でいつもは3人もいる看護婦さんがいないのだ。
5分以上経って、接着剤の瓶を持って戻ると、「接着剤には沢山種類があるんだけど、僕はこれが好きなんで」などといった。
あれこれと探し物が色々あって、15分で終わるはずの治療は、結局占めて30分を要した。
「治療代を払わないといけません。おいくらか言ってください」
「いえいえ、代金は先日頂いたプレゼントで余ってますよ」
「そんなことで、お代を取って頂かないと、ぼくは次に来た時に二度目のお礼を持ってこないといけなくなります」とぼくは言った。するとカンタ先生は、
「とんでもない。次にいらっしゃった時には連絡してください。ランゲのレストランの食事にご案内しますから」
「ほんとですか。楽しみにしています」とぼくは答えた。