コーカサスの山と人の紹介・説明
「コーカサスの山と人」<上><下>
『なんで山登るねん』に〈三十なかば変身のきっかけはコーカサスのショック〉という章があります。
1965年、京都山岳連盟カラコルム登山隊の最年少隊員として、初めて海外に出た私は、カルチャーショックを受けます。
この4年後、1969年に「西パキスタンの旅」に出かけます。
さらに二年後の1971年、旧ソ連邦・コーカサスに出かけたときの報告を、読み物として山渓本誌に2回に分けて連載したのが、『コーカサスの山と人』上・下です。
当時、前衛登山集団として、自他共に許した「第二次RCC」が、ソ連の招待を受け、コーカサスに遠征し、登攀を行ったときのもので、私はこの「第二次RCCカフカズ遠征隊」の隊長でした。
この時の初めてのヨーロッパは、ぼくにとっては初めての、東南アジアやインド・パキスタンなどのアジア圏などではない、その外の体験でした。
さらに、ソ連邦(旧)は、アジア圏外の国というだけではなく、いわゆる冷戦構造下の東側の国でした。そこで肌で感じたものは、日本で常識のように言われ信じられていることと、実際とのあまりに大きなギャップだったようです。
〈コーカサスのショック〉とは実はそうしたものであったと今思うのですが、どうしてかぼくは余りこうしたことに関しては書いてはいません。
コーカサスの山と人<上>
コーカサスの山と人<下>
『なんで山登るねん』に〈三十なかば変身のきっかけはコーカサスのショック〉という章があります。
1965年、京都山岳連盟カラコルム登山隊の最年少隊員として、初めて海外に出た私は、カルチャーショックを受けます。
この4年後、1969年に「西パキスタンの旅」に出かけます。
さらに二年後の1971年、旧ソ連邦・コーカサスに出かけたときの報告を、読み物として山渓本誌に2回に分けて連載したのが、『コーカサスの山と人』上・下です。
当時、前衛登山集団として、自他共に許した「第二次RCC」が、ソ連の招待を受け、コーカサスに遠征し、登攀を行ったときのもので、私はこの「第二次RCCカフカズ遠征隊」の隊長でした。
この時の初めてのヨーロッパは、ぼくにとっては初めての、東南アジアやインド・パキスタンなどのアジア圏などではない、その外の体験でした。
さらに、ソ連邦(旧)は、アジア圏外の国というだけではなく、いわゆる冷戦構造下の東側の国でした。そこで肌で感じたものは、日本で常識のように言われ信じられていることと、実際とのあまりに大きなギャップだったようです。
〈コーカサスのショック〉とは実はそうしたものであったと今思うのですが、どうしてかぼくは余りこうしたことに関しては書いてはいません。
コーカサスの山と人<上>
コーカサスの山と人<下>
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